2014年09月17日

長嶋有「問いのない答え」「夕子ちゃんの近道」「パラレル」

2014.9.17

問いのない答え」(2013.12)

なにをしていましたか?
先週の日曜日に、学生時代に、震災の日に――様々な問いと答えを「遊び」にして、あらゆる場所で緩やかに交流する人々の切実な生を描く、著者四年振りの長篇群像劇。

震災発生の三日後、小説家のネムオはtwitter上で、「それはなんでしょう」という言葉遊びを始めた。一部だけ明らかにされた質問文に、出題の全容がわからぬまま無理やり回答する遊びだ。設定した時刻になり出題者が問題の全文を明らかにしたとき、参加者は寄せられた回答をさかのぼり、解釈や鑑賞を書き連ね、画面上に“にぎやかななにか”が立ち上がるのだ。最近ヘアスタイリストと離婚したばかりの「カオル子」、ボールベアリング工場勤務の「少佐」、震災を機に派遣社員をやめた「七海」、東京郊外の高校に転校してきたばかりの美少女「蕗山フキ子」……気晴らしの必要な人だけ参加してくださいという呼びかけに集まったのは、数十人の常連だった。グラビアアイドルに取材する者、雑貨チェーン店の店長として釧路に赴任する者、秋葉原無差別殺傷事件の犯人に思いをやる者、亡き父の蔵書から押し花を発見する者、言葉遊びに興じながら、彼らはさまざまな一年を過ごす。そして二〇一二年四月、twitter上の言葉遊びで知り合ったある男女の結婚を祝うため、たくさんの常連たちが一堂に会することになり――。

「言葉遊び」の悲喜劇『問いのない答え』 (長嶋有 著)安藤 礼二Reiji Ando|文芸評論家

2013.12.18 07:30

この十数年の間で、インターネットは驚くべきスピードで人々の間に拡散し、浸透した。それとともに個人の情報発信も容易になった。人々はハンドルネームという「仮面」を被りながら、日々の生活の細部や「内面」を、自らが撮影し、あるいは自らが描いたイメージとともに吐露し、他の人々もその「つぶやき」に匿名で、瞬時に反応することができるようになった。しかも、それらの過程をすべてその目で見ることができるのである。ネットの大海のなかでは不謹慎な欲望も簡単にかない、不注意な一言でそれまで築き上げてきた信頼が一瞬にして失われる。ネットを流れていくのはイメージも含めてすべてが「記号」、すなわち「言葉」である。時間や空間の壁を乗り越えて、あらゆる人があらゆる人とつながり合うことが可能になった。

「言葉」を使うこと、あるいは「言葉」の変容に対してきわめて鋭敏な感覚をもっている長嶋有は、無数の短い「つぶやき」が積み重ねられ、その度ごとにさまざまな関係が構築されては消滅してゆくツイッターを舞台に新たな小説を書いた。特にこの日本で、ツイッターの功罪が大きく論じられるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災以降のことであろう。携帯電話網が役に立たず、テレビや新聞の報道が行き届かないなか、かろうじて「つながり」が保たれていたのがツイッターだった。人々は他のメディアが機能不全に陥るなか、ツイッターを通じて多くの貴重な情報を得、多くの貴重な「言葉」を得た。もちろんそれとともに、同じくらいの、あるいはそれ以上の、根本的に誤った情報や聞くに堪えない罵詈雑言や中傷の「つぶやき」にも埋め尽くされていたのではあったが……。

長嶋が新たな小説のスタートラインを引くのは、震災の直後からである。いくぶんかは現実の作者のイメージが投影された物語のなかの登場人物、作家のネムオはツイッターを通じた「言葉遊び」を始める――「地震のあった三日後、ネムオは仲間と『それはなんでしょう』という言葉遊びを始めた。よく分からない質問に、無理矢理回答する遊びだった」。たとえば、「どうしますか?」という質問が提出される。なにがどうしたのかはいまだ分からない。分からないまま、それぞれが答えを出していく。答えがほぼ出揃ったころで質問の全体が明かされる。1つの質問に無数の回答が与えられる。そこには思いもかけなかった「言葉」と「言葉」の出会いが実現されている。 まさに「問いのない答え」が連鎖していくことで、さまざまな人と人の出会いも「つぶやき」を介して、その「つぶやき」の積み重ねのなかで実現していくのである。
震災による荒廃に抗するために長嶋が選んだのは、震災をリアルに描くことでもなく、寓意的に描くことでもなく、誰にでも容易に実現可能な他愛もない「言葉遊び」を通じて、その後の変化を、多くの視点の分岐と総合によって実験的に記録していくことだった。そうした主題と手法こそ、長嶋が選んだ作家としての倫理であったはずだ。ネムオが始めた「言葉遊び」について、長嶋は、別の登場人物にこう述懐させている――「余震に脅えていたときにこの言葉遊びが始まった。気晴らしの必要な人だけ参加してくださいとネムオは呼びかけていた。ツイッターに熱心な友人に誘われて参加してみて、その友人よりも耽溺した。真っ黒い波がひいて大きな漁船が畑に横たわる、言語がおかしくなったような状況で、言語を無茶苦茶にする遊びに気晴らしどころか全力で取り組んだ」。

「言葉」が人を集め、「言葉」が人を別れさせる。ネットではその出会いと別れが同時に重なり合う。『問いのない答え』という小説もまた、はじめは固定されていた物語の視点がその進行とともに多様化され、重層化されていく。新たな「言葉」の環境を探るためには小説もまた新たなスタイルを取らなければならないのだ。「言葉」は現実の被災地に届くとともに虚構の「個性」をも発生させる。そしてそこには肯定的な側面ばかりでなく、否定的な側面ももちろん存在している。長嶋は、ネットの掲示板で「問いのない答え」を出し続けた挙げ句、無差別殺人事件を引き起こした現実の人間、加藤智大の「言葉」を繊細にトレースしてゆく。そして登場人物にこう呟かせる――

「言葉遊びという平和そうな無邪気な行為に、急にグロテスクなものを感じ取ったのだ」、あるいは「今、加藤の掲示板とほとんど同じ手段で、大量の言葉で、我々は必死に遊んでいる」とも。

リーダブルで微笑みを誘う物語でありながら、「言葉」の新たな状況に鋭く切り込み、その可能性と不可能性、喜劇と悲劇を浮き彫りにした意欲的な作品である。
『問いのない答え』長嶋 有 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

2014.1.3〜

Bパラレル・・・妻の浮気が先か、それとも僕の失職が原因か?
ともかく僕は会社を辞め離婚した。複数の女性と付き合う友人・津田、別れてもなお連絡が来る元妻との関係を軽妙に描いた著者初の長篇amazonn

2013.9.25

夕子ちゃんの近道」2006.4

「そんなことしてどうするのって問いかけてくる世界からはみだしたいんだよ・・」(p61)

長嶋有(ながしま ゆう、1972年9月30日 - )は日本の小説家である。ネット・コラムニスト「ブルボン小林」、俳人「長嶋肩甲」[1]としても活動している。俳誌「恒信風」所属。
埼玉県草加市生まれ、北海道登別市・室蘭市育ち。登別市立幌別西小学校、室蘭市立港南中学校、北海道室蘭清水丘高等学校普通科を経て、東洋大学2部文学部国文学科を卒業。

1990年代半ばからASAHIネットのパソコン通信に出入りし、「パスカル短篇文学新人賞」に応募するなどしていた。1997年にシヤチハタに就職し、結婚。ネットで知り合った仲間と俳句の同人に参加するようになり、その中の一人には川上弘美がいた。1998年に「ブルボン小林のインテリ大作戦」というウェブサイトを立ち上げる。投稿作品が予選通過や佳作を取るようになったため1999年にシヤチハタを退職、作品執筆に専念する。2000年にASAHIネット時代からの友人が立ち上げたメールマガジンにコラムを連載し、フリーライターとして活動を開始。

2001年に5つの文芸誌に同時に応募、このうち『文學界』に送った『サイドカーに犬』が第92回文學界新人賞を受賞し、小説家デビュー。同作で第125回芥川賞候補となる。2002年、『猛スピードで母は』で第126回芥川賞受賞。

2003年、『タンノイのエジンバラ』で第29回川端康成文学賞候補。2004年、『夕子ちゃんの近道』で第30回川端康成文学賞候補。2007年、『夕子ちゃんの近道』で第1回大江健三郎賞受賞。同年『サイドカーに犬』が根岸吉太郎監督により映画化。また2008年に『ジャージの二人』が中村義洋監督により映画化された。

2006年に柴崎友香、名久井直子、福永信、法貫信也とともに同人誌『メルボルン1』を刊行、2008年にも第2弾『イルクーツク2』を刊行している。

2011年からは漫画制作ソフト「コミPo!」を使用し、ウェブコミック配信サイト『ぽこぽこ』(太田出版)にて漫画作品『フキンシンちゃん』の連載を開始する。この『フキンシンちゃん』は2012年に加筆修正の上、ウェブコミック配信サイト『WEBコミック EDEN』(マッグガーデン)へと移籍し第1話より再掲載されており、単行本も同社より発売されている。

漫画好きであり漫画への言及も多い。著書のいくつかの表紙絵も漫画家に依頼している。14歳のとき室蘭市まで講演にやってきた手塚治虫と握手してもらったという。ブルボン小林名義で、手塚治虫文化賞選考委員を務める。
父・長嶋康郎は『古道具ニコニコ堂です』(河出書房新社)などの著書のある国分寺市の古道具店「ニコニコ堂」の店主。同店の常連であった関係から、佐野洋子が『猛スピードで母は』の装画を手がけている。伯父・長嶋善郎は言語学者で学習院大学名誉教授。
自身がPHS(ウィルコム)ユーザーであることを公表している。「まだ(使ってるの)?」と聞かれることが多いため、PHS使いとして、その気持ちを察してほしいとコラムにも書いたほどである[2]。
「ブルボン小林」というペンネームは、ASAHIネット時代にブルボンと小林製薬のコマーシャルのセンスについて熱弁したところ名付けられた。
作品一覧[編集]
小説
猛スピードで母は 2002年1月、文藝春秋 2005年、文春文庫(解説:井坂洋子)
 サイドカーに犬(『文學界』2001年6月号)
 猛スピードで母は(『文學界』2001年11月号)
タンノイのエジンバラ 2002年12月、文藝春秋、2006年、文春文庫(解説:福永信)
 タンノイのエジンバラ(『文學界』2002年2月号)
 夜のあぐら(『文學界』2002年5月号)
 バルセロナの印象(『文學界』2002年10月号)
 三十歳(『新潮』2002年10月号)
ジャージの二人 2003年12月、集英社、2007年、集英社文庫(解説:柴崎友香)
 ジャージの二人(『すばる』2003年3月号)
 ジャージの三人(『すばる』2003年11月号)
パラレル 2004年6月、文藝春秋、2007年、文春文庫(解説:米光一成)
 初出:『文學界』2004年2月号
泣かない女はいない 2005年3月、河出書房新社、2007年、河出文庫(解説:加藤陽子)
 泣かない女はいない(『文藝』2004年秋号)
 センスなし(『文藝』2003年夏号)
 二人のデート(書き下ろし)
夕子ちゃんの近道 2006年4月、新潮社、講談社文庫(解説:大江健三郎) 
 瑞枝さんの原付(『新潮』2003年4月号)
 夕子ちゃんの近道(『新潮』2003年7月号)
 幹夫さんの前カノ(『新潮』2004年1月号)
 朝子さんの箱(『新潮』2004年3月号)
 フランソワーズのフランス(『新潮』2004年7月号)
 僕の顔(『新潮』2004年12月号)
 パリの全員 (書き下ろし)
エロマンガ島の三人―長嶋有異色作品集 2007年6月、エンターブレイン、文春文庫(解説:バカタール加藤) 
 エロマンガ島の三人(『オトナファミ』2006年夏号 - 冬号)
 女神の石(Webマガジン『アニマソラリス』・2001年)
 アルバトロスの夜(Webマガジン『アニマソラリス』20号・2002年)
 ケージ、アンプル、箱(『小説現代』2004年4月号)
 青色LED(書き下ろし)
ぼくは落ち着きがない 2008年6月、光文社、ISBN 978-4334926113、光文社文庫(解説:堺雅人)
 ぼくは落ち着きがない(『本が好き!』連載、2007年2月号 - 2008年1月号)
ねたあとに 2009年2月、朝日新聞出版 ISBN 978-4022505316、朝日文庫(解説:長嶋康郎)
 『朝日新聞』夕刊連載(2007年11月20日 -2008年7月26日 、挿画・高野文子)
祝福 河出書房新社 2010.12
 マラソンをさぼる(『ダ・ヴィンチ』2003年11月号)
 海の男(『新潮』2005年11月号)
 ファットスプレッド(『小説すばる』2006年5月号)
 十時間(『すばる』2010年10月)
 祝福(『文藝』2010年)
佐渡の三人 講談社 2012.9
 佐渡の三人(『文學界』2007年1月号)
 戒名(『群像』2009年3月)
 スリーナインで大往生(『群像』2011年11月号)
 旅人(『群像』2012年6月号)

単行本未収録作品[編集]
オールマイティのよろめき(『文學界』2005年1月号)
邦夫のイメージ(『読売新聞』夕刊、2006年5月10日)

随筆[編集]
いろんな気持ちが本当の気持ち 2005年7月、筑摩書房、ちくま文庫(解説:しまおまほ)
電化製品列伝 講談社、2008→電化文学列伝 講談社文庫(解説:豊崎由美)
安全な妄想 2011年9月、平凡社

長嶋有 - Wikipedia

長嶋有公式サイト
posted by りょうまま at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 長嶋有 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする