2019年01月13日

白石一文「この胸に突き刺さる矢を抜け」「快挙」「火口のふたり」「ほかならぬ人へ」

2019.1.13〜

7.この胸に突き刺さる矢を抜け・・途中で読むことをやめそうじゃ(*´Д`)


2018.9.21

95.「快挙」2013

快挙(かいきょ)の意味 - goo国語辞書https://dictionary.goo.ne.jp/jn/35590/meaning/m0u
かいきょ【快挙】とは。意味や解説、類語。胸のすくような、すばらしい行為。痛快な行動。「前例のない快挙」 - goo国語辞書

あの日、月島の路地裏であなたを見つけた。これこそが私の人生の快挙。しかし、それほどの相手と結婚したのに五年が過ぎると、夫婦関係はすっかり変質してしまった。共に生きるためには、不実さえも許す。それこそが夫婦。そう思っていたが、すべては私の驕りにすぎなかった…。結婚に愛は存在するのか。結婚における愛の在処を探る傑作夫婦小説。 https://www.amazon.co.jp/快挙-白石-一文/dp/4103056533


感想・・つまらない本( ;∀;)


2015.11.27(金)

快挙(2013.4)

変質しない夫婦関係などない。罪と罰を抱き共に生きる。それこそが、結婚――。

あの日、月島の路地裏であなたを見つけた。これこそが私の人生の快挙。しかし、それほどの相手と結婚したのに五年が過ぎると、夫婦関係はすっかり変質してしまった。共に生きるためには、不実さえも許す。それこそが夫婦。そう思っていたが、すべては私の驕りにすぎなかった……。結婚の有り様をあなたに問う傑作夫婦小説。白石一文『快挙』|新潮社

2014.7.16(水)

火口のふたり2012.11


「私、賢ちゃんの身体をしょっちゅう思い出してたよ」純粋な、ひたすらの欲情に溺れるいとこ同士の賢治と直子。出口の見えない男と女の行きつく先は? 極限の愛と官能を描く著者新境地!

書評『火口のふたり』
田口ランディ

セスナを操縦する……という男の人とおつきあいをしたことがある。ずいぶんと昔のことだ。散歩しようと言って調布の飛行場に連れて行かれ、小さな飛行機に乗って飛び立った。
「大島に行くか? それとも富士山に行くか?」と聞かれたので、もちろん富士山だと思った。
「よし、富士山を真上から見せてやろう。ただ、あそこは気流が激しいから墜落したらそのまま天国だぞ」
 冬の晴天で空が真っ白に発光していた。調布から富士山までは瞬間移動したみたいに近くてびっくりした。飛ぶってすごいことだと思った。なぜ自分が飛んでいるのか不思議だった。こんな単純な乗り物で、空に浮いているなんて、夢みたいだった。
 富士山がぐんぐん近づいてきて、火口の真上を旋回したとき、生まれて初めて富士山を真上から見下ろした。火口は雪にふちどられてとてもなめなめしていた……。雪女が白い唇をすぼめているみたいだった。
「なまめかしいね……」と私が言うと、男は笑った。
「なんだか卑猥だろう」
 気流をかわしながら、さらに火口に近づいた。穴の中から赤い舌がべろんと出てくるような気がして、富士山はやっぱり女だったんだと思った。極まって声をあげている女の口……そんな感じなんだ。なだらかな稜線が女の喉で、樹海は陰部を隠す体毛だ……。
 乱反射するミラーボールみたいな駿河湾へ向けてセスナは急降下し、それからどうしたんだっけ……、その後のことは覚えていない。
 
 この物語の二人はいとこ同士で、血が繋がっているゆえ肌が溶け合うのか、からみあった蛇みたいにずっとセックスばかりしている。どうせなら、設定を兄妹にしてしまえばもっとエロいのに……と思ったけれど、日本では近親相姦はやはりタブーなんだろう。でも、日本神話に登場するイザナギとイザナミもたぶん「きょうだい」に違いない(と思う)。日本列島は近親相姦から生まれたのではないか。スサノオとアマテラスだって、ウケヒ(誓約)をしてお互いの玉と剣から子どもを産む。あれも婉曲なセックスの表現と言えないだろうか。
 そう思って読めば、この『火口のふたり』という、現代的に描かれた物語が、実は神話のようなものなのだとわかる。
 ところで、富士山はいつからフジサンと呼ばれるようになったのか。万葉集にはもう富士山が詠まれているけれど、その語源はやはりアイヌ語の「フチ」なのか。フチは年老いた女性の呼称で、それに火を表わす「アぺ」がつくと「アぺフチ」で火の神となる。神の意の「カムイ」をつけて「カムイフチ」と呼ばれることもある。
 アイヌの火の神は、他の神々と人間との間を取り持つ大切な神で、願いを火にくべて燃やすことによって様々な神々に届くと考えられていた。だからアぺフチは人間(アイヌ)にとって、最も身近でしかも頼りになる神様だった。
 富士山信仰のご神体はコノハナサクヤヒメ。この女神さまは、オオヤマツミの娘なのだが、第一子を身ごもった時に「ほんとうにオレの子か?」と男から疑われる。そこでウケヒをして、「ほんとうにあなたの子なら、無事に出産できるはず」と産屋に火を放ち、燃えさかる炎の中で出産するのである。古代、第一子は「血筋が違うかもしれぬ」という理由からか殺されることも多かったという。
 結婚式をひかえた身で、かつての恋人とのセックスに耽る作中の女性、直子の結婚相手もまた「子どもはオレの子か?」と不安になる古代の男性と同じ立場だ。男は「誰の子かわからない」が、女は自分が産めば間違いなく自分の子なのである。母は強し……である。
 およそ、男は女という深淵、フチ、火口の前で「オレは何者だ?」とあぜんと問うている考える棒であり、有事があればその命をごんごんと火にくべられて燃えつきる儚い薪である。任務に命をかけるのは産めない男であり、最近、話題になっている漫画「大奥」は、上さまが女という逆転の発想によって「男の儚さ」を浮き彫りにしている。
 儚い男が女に生まれたら絶対に体験したいと思っているのは性的快感ではないか。女はどれくらい気持ちいいのか、男には決してわからない。女の愉悦は、生まれた時からすでに一生分の卵子をもっていて、それを毎月、生殖のために排卵し、血で洗い流している性(サガ)が業としてもっている快楽であって、即物的に精子を製造している男には背負えない宿業なのだと思う。
 欲望の対象としての女に実は愉楽として消費されていることの歯がゆさを、力でどんなに払拭しようともがいても、男は使い切りの性なのだ。
 なんとなく頼りなげで途方に暮れているこの主人公が憎めない。火口のフチ(淵・不知)に夢中で射精し続ける姿がせつない。天変地異の世にあって、欲望が純粋にセックスに向くのは摂理だが、それゆえロゴスを支配せんとする男は茫漠とせつないのではなかろうか。
 今年は庭がどんぐりだらけになった。いったいどこからこんなにたくさん落ちてきたのか。もう十一月だというのに、真っ赤な足の巨大ムカデがつがいで家に上がってきた。命はせつない。すでに生殖を終えた身の女としては、どんぐりも、ムカデも、男も同じようにせつない。



書評『火口のふたり』
窪美澄(作家)

小説とは何か、と問われても、私ははっきりとした答えを持っていない。けれど、読んだあとに、「これが小説だ!」としか思えない作品は確かに存在する。そのなかでも、「この世に生まれた人間がいかに生きていくか」という根源的な問いに答えようとしている作品に対して、そのような感情を持つことが多いような気がする。
 どんな小説があってもかまわないし、そのバリエーションは本来、本を読む人間の数くらい多種多様であるべきだ、と思っている。しかし、小説のひとつの役割として、「いかに生きるか」というテーマに答えつづけるべきなのではないか、という思いがある。とはいえ、今の日本で、そのテーマに取り組むことは、とてもしんどい。特に、東日本大震災、そして、原発事故が起こってからは。
 白石一文氏は、常に「いかに生きるか」というテーマに満身創痍で取り組んできた作家だと思うが、先の震災、原発事故が起こってからは、その取り組み方、生み出す作品に、より凄みが加わっているような気がしてならない。
『火口のふたり』は、震災、原発事故から三年近く経ったところからスタートする。起業したものの、倒産の危機に瀕した男、賢治。従妹である直子の結婚式に出席するために、東京から、生まれ故郷である福岡に帰ってくる。家庭からも、社会からも拒絶された、どん詰まりの男。故郷は、地震、原発事故、そして、物語の後半で明らかになる新たなカタストロフィからも遠い場所にある。
 直子の結婚相手である陸上自衛官の北野は、防衛大学を出た幹部候補生。国に仕え、その未来が約束された男。つまり、主人公の賢治とは、正反対の場所にいる。
 血縁関係にありながら、肉欲に溺れ、その出来事が忘れられずにいる賢治と直子。シェルターのような、聖地のような故郷で、二人は再び結ばれる。その先には破滅しかない二人が、幾度となく繰り返す、食事とセックス。
「この五日間の俺たちは、いわばヤケクソだったのだ」という一文があるが、そう、まるでヤケクソなのだ。この二人の、食へのこだわり、性器が腫れ上がるほどのセックスは。けれど、世界の終わりを目の前にして、その行為の過剰さが、なぜだかほのかな明るさや逞しさをも感じさせるのだ。
 二人が抱える、ある性的な嗜好。ラストシーン、彼女が喜んでやっていたと思っていたものが、彼の思い違いだったということに気づく。二人で生きる、と決めても、ほんの小さなことで彼らはすれ違い続けている。
 刹那的な快楽に溺れ、火口に飛び込もうとしている二人。それは、今の日本を生きる私たちの姿でもある。
 明日はもう来ないかもしれない。それがわかった上で、どう生きるのか。隠そう、忘れてしまおう、なかったことにしてしまおう、という出来事や記憶を、この小説は暴き出す。
 休火山のように、クールに、フールに、無表情で通り過ぎてはいけないと叫ぶ。価値観をぐらぐらと揺さぶられ、読後には、煮えたぎった赤黒い溶岩が自分のどこかから勢いよく噴き出す思いがした。
(「文藝 2012年冬季号」 掲載)

著者コメント

【著者のことば――刊行によせて】

火口のふたり、になりたくて……。

本書の主人公、直子と賢治はいとこ同士。若い頃に忘我の性に溺れた幸運を持っている。その二人が、十数年ぶりに再会し、かつての愛欲をよみがえらせる。
描こうとつとめたのはセックスそのものである。
男女は生殖のために交わるのではない。埋めなくてもいい隙間を埋めるために交わる。
そこに人間ならではの葛藤と絶望、光が生まれる。深々とした性は味わうもよし、その深さを想像するだけでも心をみずみずしくする。
この小説を読んだ方々が、意識の中で、ほんのいっときでも直子と賢治のような「火口のふたり」になってくれれば、それでいい。
  白石一文
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著者

白石 一文 (シライシ カズフミ)

1958年福岡県生れ。文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、10年『ほかならぬ人へ』で直木賞受賞。近著に『翼』『幻影の星』。

火口のふたり :白石 一文|河出書房新社

白石一文「ほかならぬ人へ」2009年11月

第142回(平成21年度下半期) 直木賞受賞

内容紹介
愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう?
「恋愛の本質」を克明に描きさらなる高みへ昇華した文芸作品。第二十二回山本周五郎賞受賞第一作! 祥伝社創立40周年記念出版。

「ほかならぬ人へ」
二十七歳の宇津木明生は、財閥の家系に生まれた大学教授を父に持ち、学究の道に進んだ二人の兄を持つ、人も羨むエリート家系出身である。しかし、彼は胸のうちで、いつもこうつぶやいていた。「俺はきっと生まれそこなったんだ」。
サッカー好きの明生は周囲の反対を押し切ってスポーツ用品メーカーに就職し、また二年前に接待のため出かけた池袋のキャバクラで美人のなずなと出会い、これまた周囲の反対を押し切って彼女と結婚した。
しかし、なずなは突然明生に対して、「過去につき合っていた真一のことが気になって夜も眠れなくなった」と打ち明ける。真一というのは夫婦でパン屋を経営している二枚目の男だ。「少しだけ時間が欲しい。その間は私のことを忘れて欲しいの」となずなはいう。
その後、今度は真一の妻から明生に連絡が入る。彼女が言うには、妻のなずなと真一の関係は結婚後もずっと続いていたのだ、と。真一との間をなずなに対して問いただしたところ、なずなは逆上して遂に家出をしてしまう。
失意の明生は一方で、個人的な相談をするうちに、職場の先輩である三十三歳の東海倫子に惹かれていく。彼女は容姿こそお世辞にも美人とはいえないものの、営業テクニックから人間性に至るまで、とにかく信頼できる人物だった。
やがて、なずなの身に衝撃的な出来事が起こり、明生は…。


「かけがえのない人へ」
グローバル電気に務めるみはるは、父を電線・ケーブル会社の社長に持ち、同じ会社に勤める東大出の同僚・水鳥聖司と婚約を控えて一見順風満帆に見えるが、一方でかつての上司・黒木ともその縁を切れずにいる。黒木はいつも夜中に突然電話を寄越し、みはるの部屋で食事を要求した後、彼女の身体を弄ぶのだ。みはるはみはるで、聖司という婚約者がいながら、何故か野卑とも言える黒木に執着している。黒木が言うには、五歳から大学に入るまでの十三年間、都内の養護施設を渡り歩いていたというが、黒木を見ていると、苦労が必ずしも人を成長させるとは限らない、とみはるは思う。
一方で、社内では業績不振も相俟って、他社との合併話が進行していたが、それを巡る社内の政争のあおりを受けて、黒木の後ろ盾である藪本常務の立場が危うくなっていた…。

Amazon.co.jp: ほかならぬ人へ (祥伝社文庫): 白石 一文: 本

白石 一文(しらいし かずふみ、1958年 8月27日 )は、日本の小説家。父は直木賞作家の白石一郎。双子の弟は小説家の白石文郎。2010年「ほかならぬ人へ」で直木賞を受賞。初の親子二代での授賞となった。

来歴・人物
福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。その後、文藝春秋に入社、週刊誌記者、文芸誌編集などを経る。
1992年、瀧口明の名で投稿した『惑う朝』(応募時タイトルは『鶴』)で第16回すばる文学賞佳作。1994年、滝口明の名で『第二の世界』を上梓。2000年、白石名義での「一瞬の光」で再デビューする。
パニック障害を患い、一時休職。現場復帰するも、退社、作家専業となる。
「どれくらいの愛情」が第136回直木賞候補作となる。
2009年「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で第22回山本周五郎賞を受賞する。
2010年「ほかならぬ人へ」で第142回直木賞を受賞する。父の一郎が同賞に6回(7作)も候補に挙がりながらも落選し続ける姿を見てこういう賞がなければいいとまで思っていた。そんな大嫌いな賞だった直木賞を受賞したことに対し「変わらざるを得ない。大好きとは言えないが、好きぐらいは言いたい」と語っている。
直木賞授賞後に発表したエッセイで、父・一郎の唯一のSF作品である『黒い炎の戦士』シリーズ(未完結)が、自身が原案を担当した「共著」であり、またその続巻を発表するつもりであることを、明かした。
思想的にショーペンハウアー、トルストイなどの影響を受けている。
ロッキングオンの編集者、山崎洋一郎や社会学者の宮台真司に支持される。

著書滝口明名義
第二の世界(海越出版社、1994年)
白石一文名義
※文庫は、同一版元

一瞬の光 (角川書店、2000年1月)、文庫化
不自由な心(角川書店、2001年1月)、文庫化
すぐそばの彼方(角川書店、2001年6月)、文庫化
僕のなかの壊れていない部分(光文社、2002年8月)、文庫化
草にすわる(光文社、2003年8月)、文庫化
見えないドアと鶴の空(光文社、2004年2月)、文庫化
私という運命について(角川書店、2005年4月)、文庫化
もしも、私があなただったら(光文社、2006年4月)、文庫化
どれくらいの愛情(文藝春秋、2006年11月)、文庫化
永遠のとなり(文藝春秋、2007年5月)、文庫化
心に龍をちりばめて(新潮社、2007年10月)、文庫化
この世の全部を敵に回して(小学館、2008年4月)、文庫化
この胸に深々と突き刺さる矢を抜け(上下、講談社、2009年1月)、文庫化
ほかならぬ人へ(祥伝社、2009年10月)、文庫化
砂の上のあなた(新潮社、2010年9月)、文庫化
翼(光文社、2011年6月)
幻影の星(文藝春秋、2012年1月)
火口のふたり(河出書房新社、2012年11月)
快挙(新潮社、2013年4月)
白石一文 - Wikipedia
posted by りょうまま at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 白石一文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする