2015年07月05日

原田マハ「太陽の棘」「インディペンス・デイ」

りょうままのなに食べさせよう

2015.7.5、6

68.「太陽の棘」(2014.10)

サンフランシスコにある医院のオフィスで、老精神科医は、壁に掛けられた穏やかな海の絵を見ながら、光と情熱にあふれた彼らとの美しき日々を懐かしく思い出していた……。
結婚を直前に控え、太平洋戦争終結直後の沖縄へ軍医として派遣された若き医師エド・ウィルソン。
幼いころから美術を愛し、自らも絵筆をとる心優しき男の赴任地での唯一の楽しみは、父にねだって赴任地に送ってもらった真っ赤なポンティアックを操り、同僚の友人たちと荒廃の地をドライブすること。
だが、ある日、エドは「美術の楽園」とでも言うべき、不思議な場所へと辿り着く。
そこで出会ったのは、セザンヌや、ゴーギャンのごとく、誇り高い沖縄の若き画家たちであった。
「互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった」その出会いは、彼らの運命を大きく変えていく。

太平洋戦争で地上戦が行われ、荒土と化した沖縄。首里城の北に存在した「ニシムイ美術村」そこでは、のちに沖縄画壇を代表することになる画家たちが、肖像画や風景画などを売って生計を立てながら、同時に独自の創作活動をしていた。その若手画家たちと、交流を深めていく、若き米軍軍医の目を通して描かれる、美しき芸術と友情の日々。史実をもとに描かれた沖縄とアメリカをつなぐ、海を越えた二枚の肖像画を巡る感動の物語。 Amazon.co.jp: 太陽の棘(とげ): 原田 マハ: 本
2014.3.11

また泣けるかなあ・・

インディペンス・デイ原だマハ

息子が「こういう題名の映画なかったっけ??」と聞いてきた・・
あったねえ。。手(チョキ)
posted by りょうまま at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 原田マハ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

原田マハ「星がひとつほしいとの祈り」

2014.2.10〜・・・グズグズ・・泣けた・・

星がひとつほしいとの祈り」「

内容紹介

時代がどんな暗雲におおわれようとも、あなたという星は輝きつづける――
注目の著者が静かな筆致で描く、20代から50代まで、各世代の希望と祈りを見つめ続けた七つの物語。

■椿姫
不倫相手の子供を宿した20代前半の新人デザイナーが、
中絶のつもりで訪れた産院で、10代のギャル妊婦に出会い……。

■夜明けまで
著名女優を母に持つ30歳のひかるは、母の生き方を否定していたが、
母の死後、その遺言に従って九州の「夜明」駅を訪れた。

■星がひとつほしいとの祈り
35歳の売れっ子コピーライターが、ホテルで呼んだマッサージの老女から聞かされた、戦中上流階級の悲話。
盲目のその人は、令嬢であった自らの悲恋、彼女に献身的に仕えた女中、そしてひとしく日本人を襲ったあの戦争について語り……。

■寄り道
アラフォー独身、いつも旅する女友達二人が白神山地を訪れたが、
ツアーバスに同乗した派手な若い女が気になり……。

■斉唱
未婚の母である40代女性。
心を開かない中学生の娘と、自由学習のため佐渡のトキを見学に行くことになったが……。

■長良川
50代で夫をがんで亡くした堯子はその1年後、娘とその婚約者と共に長良川の鵜飼いへ。
そこはかつて夫と旅した地でもあった。

■沈下橋
高知の食堂で働く59歳の多恵は、歌手・阿藤由愛訴追の報に接する。
多恵はかつて、由愛の継母だったことがあるのだ。


内容(「BOOK」データベースより)

売れっ子コピーライターの文香は、出張後に寄った道後温泉の宿でマッサージ師の老女と出会う。盲目のその人は上品な言葉遣いで、戦時中の令嬢だった自らの悲恋、献身的な女中との交流を語り始め…(「星がひとつほしいとの祈り」)。表題作ほか、娘として妻として母として、20代から50代まで各世代女性の希望と祈りを見つめ続けた物語の数々。 Amazon.co.jp: 星がひとつほしいとの祈り (実業之日本社文庫): 原田 マハ: 本
2013.10.15原田マハ
『星がひとつほしいとの祈り』原田マハ氏インタビュー 「親子関係、旅、女性の物語です。この文庫を持って旅に出てください」
創作の原点、旅の原点も本作それぞれの中にあります。
――以前、『旅屋おかえり』(集英社)のインタビューの時に、旅の中には必ず“サイン”があるとおっしゃっていましたが、『星がひとつほしいとの祈り』の各短編では、それを抽出して読者に分かりやすく表していますね。

原田 旅について書いたのは、こちらの方が最初なんです。2006年にデビューして、実業之日本社さんから早くにお声をかけていただいて、「椿姫」に始まる全七話、「ジェイ・ノベル」さんに不定期掲載で、こつこつと2年くらいかけて書き溜めてきた旅の物語集なんです。今読み返してもすごく新鮮な感じです。旅をする度に、こんな物語にしたいという想いがあって、その気持ちが込められています。今でこそ長編を書く時は、担当の方と一緒に取材に出かけたりすることはありますが、この頃は、本当に一人で動いていたんですね(笑)。旅の原点であり、創作の原点みたいなものを拾い集めて、物語に展開していこうと思いながらずっと旅を続けてきた、半分、私の紀行文といった感じで、旅のアルバムのような物語です。

――その「椿姫」が原田さんとの人生を旅してきたわけですね。

原田「椿姫」は、私が24歳くらいの時に書いたものなんです。2007年に短編のお話しをいただいた時、みずみずしい感性を持って、小説というものに憧れたり、大人の世界に憧れたりしていた、若い時に書いていた作品があるので、書き直したいと話したら、担当の方から挑戦してみてください、と言われて。それで出来上がった結構珍しい作品なんですよ。今回かなり書き変えてはいるんですが、骨組みや構成はほとんど一緒。自分の中に20年間取っておいたという話だったので、「ジェイ・ノベル」さんに初出した時は、押し入れの奥深くから引っ張り出してきたものが、日の目を見たという気がしました。

また、作品集全体は、女性を巡る物語にもしたかったんです。書いているうちに、なんとなく母と娘の主人公二人という風になってきたので、親子関係、旅、女性という三つくらいのキーワードを使って書いていこうかなと思いました。その最初のステップが、「椿姫」の母と娘の物語だったんです。

――すごい作品がいっぱい集まっています。

原田 装幀もすごく気に入っています。「星がひとつほしいとの祈り」というタイトルも、私が中学生の時から大好きなフランスの詩人、フランシス・ジャムの詩集「星がひとつほしいとの祈り」から付けました。その詩集を長いこと大事に取っておいたのですが、西宮の下宿先に残してきたら、阪神大震災でなくなってしまいました。この詩集はもう絶版になってしまっているんですが、まずはこのタイトルありきで、物語の方が後からついてきました。最初はそのままタイトルを流用してしまうというのは気が引けていたんですが、本の末尾に注釈として出しておこうということにして、付けさせていただきました。


表題作は、平和と鎮魂への想いも
――表題作「星がひとつほしいとの祈り」は道後温泉の物語でもありますね。

原田 収録作品に書いてあることは、結構自分が体験したことからの発想が多いので、すごくリアリティを持って書いています。道後温泉で、目の不自由な不思議なおばあさんマッサージ師さんがいて、本当か噓かは分かりませんが、父親が天文学者だと言っていました。そのお話しもおもしろかったんですが、マッサージもすごくうまかったんです。半分夢見心地でおばあさんのお話を聞くうちに、すーっと物語が頭に出てきて、これは書けそうだなと感じました。

――その後道後温泉から、第二次大戦中の日本へと物語が進みますが、その発想はどこからきているのでしょうか。

原田 書き終わった日(2008年8月15日)がちょうど終戦記念日だったんです。私がその頃住んでいた調布市では、終戦記念日の正午に合わせて黙祷をしましょう、という放送が市内に流れるんです。ちょうどラストシーンを書いていたところで、「黙祷」と言われて、立ち上がって黙祷したことをはっきりと覚えています。すごい巡り合わせでした。平和への想いはいつも私の根底にあります。なんらかの形で一度描いてみたいと思っていましたし、この頃、ちょうど戦争が絡む『翼をください』(毎日新聞社)の連載をしていたため、第二次世界大戦の顛末について調べたりしていたので、「星がひとつほしいとの祈り」にも盛り込みたいと思ったんですね。あと私は、『斜陽』とか、女性の語り口の太宰文学が好きなので、それをやってみたかったということもあります。『斜陽』にも戦争のくだりが出てくると思いますが、かなり意識して書きました。

――戦争文学ですね。

原田 松山の歴史を調べてみたら、飛行場が近かったので、かなり空襲があったらしいんです。戦争文学と言えるかは分かりませんし、戦争を体験していない身でどこまで書けるかというのがありましたが、戦地に赴いた男性たちの戦いの物語ではなくて、待たざるを得なかった女性たちの物語というのも、文学に書かれてきたと思います。私が何か語れるとしたら、そちらの方だろうという風に思ったので、一番昇華された形になったかなと思います。

――「夜明けまで」では、大分の「夜明」という駅名に触発され、その場で物語が出てきたという感じなんですか。

原田 私にはいつも一緒に旅をしている友人がいまして、自分たちでテーマを作って、グルメの旅をするということを、二人で年に3、4回しているんです。大分県の由布院温泉からの帰りに福岡に出るため、ゆふいん特急に乗った時のことです。私は、移動中にものすごくインスピレーションを受けるもので、二人が電車に乗ったら、別々の席に座るというルールがあるんですよ(笑)。そのゆふいん特急の時は寝ていたのですが、ふっと目覚めて、駅名表示板が目の前を通り過ぎた時、「夜明」とはっきり書いてあったのが見えたんです。それでハッと思って、二秒で着想したんですよ。このホームに降り立つ女の子の話だって。本当に二秒で、パッと出たんです。その数ヶ月後に「夜明けまで」を書いたんですけど、今思い出してもすごい瞬間でした。なかなか話が思い浮かばない時は、いざとなれば二秒で出るんだから大丈夫って、励みにしているんです。

――「寄り道」のハグとナガラは、お二人がモデルだとか?

原田 ハグとナガラは、『さいはての彼女』(角川文庫)収録の「旅をあきらめた友と、その母への手紙」にも出てきたコンビなんです。「寄り道」は、彼女と行った白神山地をそのままプロットしています。物語に出てきたようなミステリアスな女の子はいなかったんですけど、私は歩きながらずーっとストーリーを考えていました。

――「斉唱」のトキのお話しは?

原田 私、鶴とかトキとか、大きい鳥がすごく好きなんです。いつかトキを見たい、物語を漠然と書きたいなと思っていたら、エコをテーマにしたウェブマガジンで、佐渡体験記を書いてほしいと依頼されたんです。それで佐渡島に行き、「トキを田んぼに戻す会」でお話を伺ったんです。私が尊敬している、佐渡トキ保護センターの近辻宏帰さんという方がいらっしゃるんですが、亡くなる前の年に偶然お会いすることができました。戦争中に、死にかけのトキを助けて自然に帰したのは、その時に実際に伺った話です。こちらも、平和と鎮魂の想いを込めて書かせていただきました。

――世代が違う女性たちの試練と旅立ちが、旅で見たものや感じたものとリンクしていったのはなぜでしょう。

原田 いろいろな世代の女性の生き方を書いてみたいなと思っていたんですね。これらの短編を書いた時は四十代だったんですが、自分やまわりの人々の人生を見てきて、自分にも起こり得るかもしれない、身近なドラマを再現してみたいなと思ったのが一つですね。都会で華やかなOL生活をしている元気女子の話も書いてみたいというのもあったんですが、地方都市で小さな幸せを追い続けている女性の物語もぜひ書いてみたいなと思っていました。私は地元の人と話すのが好きなので、地方に行った時に話をしていると、いろいろな発見があったり、誰にもドラマはあるんだなと感じたりします。連作短編らしく、つながりのあるものを置いておきたかったので、ざっくりですがまた、“地方と女性”というキーワードも見付けました。また、方言を使うのが楽しくて、多分、地元の方が読んだら、違うとは思うんですけれど。苦労しながらも書きました。地元のグルメや見所もしっかり自分の足で歩いて調べたりもしています。それで、どの作品にも共通して出てきているものがあるんですが、お気付きじゃないですか?

――椿ですか? 「椿姫」と「夜明けまで」出ていましたよね?

原田 それは私も気がつきませんでした。実は私、乗り物がすごく好きなんです。手を変え品を変えて、電車や船や車とかを出しています。移動フェチなので(笑)、とにかく乗り物が全話に出てくるんです。でも『総理の夫』(小社)みたいに黒塗りの車は絶対出てこないですよ(笑)。ローカルな乗り物、その土地の人々の足になっているものです。旅情を出すというよりは、場面転換とか、物語の中に読者を誘うという手段として乗り物を使っているんです。「椿姫」には、山手線が最後に出てくるんですけれど、24歳ぐらいの時から、既に乗り物でなんかしようというのがすごくあるんですね。フィクションの世界に読者を連れていくという一つの手段として、小道具として、意識的に使っています。

――読んでいる方は無意識に引き込まれていますね。

原田 あと、私は橋が好きなんですよ。「長良川」の主人公の夫は、河川と橋梁の研究をしていました。「沈下橋」も出てきますね。駅やまっすぐな道も好きですね。なんか移動の時に出てくる、土木系のものが好きなんです(笑)。特に旅の物語を書いている時は、ビジュアルの効果もあると思いますし。好きすぎて、沈下橋はタイトルにもしているくらいです。


旅へ出るのは、自分の状況を受けとめること。
――すべて七つの物語から、旅の終わりに受けとめる物語という感じがしました。原田さんにとって、旅をするというのは、受けとめるということでもあるんですか?

原田 おっしゃる通り、『星がひとつほしいとの祈り』は、自分が置かれている状況や抗えない運命があって旅に出て、抵抗するのではなく、今の状況を受けとめながら、次に進むべき道を模索していくようなローキーな感じです。受容の物語と言えるかもしれませんね。はっきりそれを謳っているわけではなくても、感じていただける方には、感じていただけるのかもしれません。

――そういう意味でも、旅は人生の寄り道ですね。

原田 寄り道しながら私も生きてきました。旅をして、敢えて寄り道をすることで気がつくことが多いんじゃないかなと思います。「長良川」「沈下橋」で、私より上の年代の女性を主人公にしたというのも、自分が四十代、五十代になってくると、母親の世代がどういう苦労をしてきたかなど、若い時になかなか分からなかったことにようやく気がついてきたからですね。旅先で、自分の両親のことやいろいろお世話になった人を思い出しながら、申し訳なかったな、ありがたかったなと思ったりします。この物語は人生の先輩に捧げたいという想いがありました。この親本が出た時も、伴侶を亡くされて落ち込んでいた方や、疲れて病気になってしまった方などに本をプレゼントしたのですが、とても喜ばれました。小説を読んでいる時に、自分の人生を振り返ってみたり、それで少し癒されたりしてくれたら、私もうれしいですね。

――母と娘という関係もありますね。

原田 最近は、一卵性のような母娘の方々もいると思うんですが、母親って子どもに対して、いつも片思いしているようなものだというのを、なにかの本で読んだんです。自分たちが思っているほど、子どもの方はなかなか応えてくれない。自分を省みると、そうだったなと思います。だから、すれ違いながらも近付いていくみたいな、通じ合える母娘の関係を、お母さんの世代と娘さんの世代の両方に伝えられると良いなと思って書きました。

――各編の長さがちょうど良いです。

原田 そうですね。そんなに長くなくて。どの小説を自分で読み返しても、風景がばーっと甦ってくる感じがありますね。よく私の小説を読んで、映像が浮かぶと言ってくださる方がいらっしゃるんですけど、私も自分の目の前で映像が流れているのを書き写しているような感じがしたんです。だから、それが読者の方にうまく伝わっていると良いなと思います。

――では、最後に読者のみなさんにひと言お願いします。

原田 旅に出てください。自分を見つけるために、この文庫を携えてそれぞれの場所に行って読んでいただけたら、それが作者として一番うれしいです。私もこの文庫を持って、それぞれの土地にもう一度行ってみたいですね。多分、本当に行くと思います(笑)。それぞれのところでいろいろな出会いがあって、ここに書ききれなかった物語もまだいっぱいあります。それもまたおいおい書いていきたいですね。ぜひ、ジッピィの文庫を持って、ローカル線なりバスに乗って出かけていただきたいです。



※このインタビューは8月下旬、小社内にて「ダ・ヴィンチ」誌<メディアファクトリー>と合同で行われたものです。『星がひとつほしいとの祈り』原田マハ氏インタビュー 「親子関係、旅、女性の物語です。この文庫を持って旅に出てください」|実業之日本社

posted by りょうまま at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 原田マハ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

原田マハ「ごめん」「本日はお日柄もよく」

2013.8.31

◆原田マハ「本日はお日柄もよく」・・スピーチライター・久音久美のもとで、スピーチライターの修行にはげむこと美の物語。2010.8
こと美は大学卒業後、老舗の菓子メーカーに就職。のんびりとしたOL生活を送っていた。28歳のとき、同僚のお嬢様・千葉の結婚披露宴でスピーチをすることになり・・・スピーチライター久音久美の指導を受けるようになる。成功で終えた披露宴スピーチのあと、そのまま久美の弟子となること美・・
翌年の4月1日には、広報戦略室へ移動となり、「創立80周年チェンジングプロジェクト」の一員に抜擢。さらに久美のもとで民主党の選挙対策コンサルティングの手伝いも手がけるようになる・・

●北原正子さん・・リスニングボランティアの草分け的存在。50歳くらいのおばさんではなく。。大学教授
ワダカマの師匠

●ワダカマ・・こと美の初恋の人・厚志くんのライバル



2013.8.18(日)・・
また良い本に出会ってしまったわーい(嬉しい顔)

原田マハごめん」2008.5

あやまってなんか、やらない。
『カフーを待ちわびて』から2年。日本ラブストーリー大賞作家が、揺れ動く女性たちを描いた感動小説集。

範子――偶然目にした詩が、自分たちを捨てた父親の記憶を呼び起こした。
陽菜子――意識不明の夫の口座に毎月お金を振りこみ続けていた人物と、ついに対面を。
咲子――不倫と新たな恋。病気を告知され、自分の願いがはっきりわかる。
麻理子――行方不明の親友と暮らしていたNYのアパートを、7年ぶりに訪れて。
――その瞬間、4人の女性は何を決意したのか?

ごめん 原田マハ 講談社

原田マハ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 マハ(はらだ まは、女性、1962年7月14日 - )は、日本の小説家、キュレーター、カルチャーライター。東京都小平市生まれ。山陽女子高等学校、関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史学専修卒業。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル、都市開発企業美術館準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。

2003年にカルチャーライターとして執筆活動を開始し、2005年には共著で『ソウルジョブ』上梓。そして同年、『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞、特典として映画化される。mahaの名でケータイ小説も執筆する。

兄は、同じく小説家の原田宗典。

2005年 - 『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞受賞。
2012年 - 『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞受賞、第147回直木賞候補、第10回本屋大賞第3位。
2013年 - 『ジヴェルニーの食卓』で第149回直木賞候補。

作品
小説
カフーを待ちわびて(2006年3月 宝島社 / 2008年5月 宝島社文庫)
一分間だけ(2007年4月 宝島社 / 2009年6月 宝島社文庫)
普通じゃない。(2007年9月 角川書店)
ランウェイ☆ビート(2008年1月 宝島社 / 2010年11月 宝島社文庫 / 2011年1月 宝島社【新装版】)
ナンバーナイン(2008年3月 宝島社)
ごめん(2008年5月 講談社)
夏を喪くす(2012年10月 講談社文庫)
さいはての彼女(2008年9月 角川書店)
おいしい水(2008年11月 岩波書店)
キネマの神様(2008年12月 文藝春秋 / 2011年5月 文春文庫)
花々(2009年3月 宝島社)
ギフト(2009年7月 イースト・プレス)
翼をください(2009年9月 毎日新聞社)
インディペンデンス・デイ(2010年2月 PHP研究所)
独立記念日(2012年11月 PHP文芸文庫)
星がひとつほしいとの祈り(2010年4月 実業之日本社)
本日は、お日柄もよく(2010年8月 徳間書店)
風のマジム(2010年12月 講談社)
いと 運命の子犬(2011年3月 文藝春秋)
小説 星守る犬(2011年6月 双葉社)
まぐだら屋のマリア(2011年7月 幻冬舎)
でーれーガールズ(2011年8月 祥伝社)
永遠をさがしに(2011年11月 河出書房新社)
楽園のカンヴァス(2012年1月 新潮社)
旅屋おかえり(2012年4月 集英社)
花々(2012年7月 宝島社)
ラブコメ(2012年7月 角川書店)
生きるぼくら(2012年9月 徳間書店)
さいはての彼女(2013年1月 角川書店)
ジヴェルニーの食卓(2013年3月 集英社)

アンソロジー「」内が原田マハの作品
恋のかたち、愛のいろ(2008年2月 徳間書店)「ブルースマンに花束を」
ルポルタージュ[編集]ソウルジョブ 女30歳・運命の仕事に出会う(2005年、共著、角川書店)
メディア・ミックス[編集]映画化[編集]カフーを待ちわびて(2009年2月28日公開、監督:中井庸友、主演:玉山鉄二)
ランウェイ☆ビート(2011年3月19日公開、監督:大谷健太郎、主演:瀬戸康史)

漫画化
アイのリラ〜一分間だけ(画:みずき水脈、全2巻)

原田マハ - Wikipedia
ラベル:原田マハ ごめん
posted by りょうまま at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 原田マハ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする