2011年09月12日

大宮エリー「生きるコント」

9/10大宮エリー生きるコント」(2008.3.15)

近所に住んでいる変な人、大宮エリーが本を出しました。町内会を代表して推薦いたします
小泉今日子

毎日、マジメに生きているつもりなのに・・なぜかすべてがコントになってしまう人生。大笑いしてちょっぴり泣ける悲喜劇エッセイ

リオのスラム街を、黄色いビキニ姿で発作的に失踪したり、突然、数十匹のアライグマに襲われたり、免許もないのにピンクのポルシェをもらうはめになったり、プロ用の自転車を衝動買いして車に轢かれたり・・・エリーを笑わずして誰を笑う?

43n〜「絆弁当」・・・家の奥にある棚の片付けをしていたら、お弁当箱がたくさんでてきた。なぜこんなに弁当箱があるのか・・それは私がいじめられっこだったから。この弁当箱の数々は、おかんからわたしへの応援歌であった。家を一歩出ると、そこから先は娘は一人でいじめというものと闘わなくてはいけない。今みたいに携帯なんてないから、おかんとわたしを結ぶものは、弁当しかなかった。いじめられて辛いんだけれど、おかんの応援弁当を食べるために頑張ろうと思えた・・

46nから・・「弁慶」・・いじめられっ子は、自分に非があるんじゃないか、自分はここにいてはいけないんじゃないかと思ってしまい、周りは、いじめられるほうに少し落ち度があるように思っている。そんな気がする。でも、ああいう小さい頃は、ただ人と違うということだけで運悪くいじめられてしまうだけなんじゃないかと思う。
わたしの場合、関西弁がそれだった・・
帰宅して自分の部屋に直行しようとすると、おかんは無邪気に聞いたもんだ
「ねえ、今日学校どうやった?おもしろいことあった?」
別に。。と答えて通り抜けようとすると、おかんは私の手をつかんで話さない・・・・黙っているとおかんはたいてい昔話をはじめる。・・・自慢げにわたしの思い出話をされると、なんだか固くなった心が緩み、ぼろぼろと涙がでてくるのだった「今日な、いじめられてん・・」・・「そういうとkは言い返したらええやん!」攻撃方法を教えてもらうと不思議と哀しみが悔しさに変わる。明日はぎゃふんといわせてやる。そう奮い立って学校に行くのだが、いじめは日替わりである。「おかんに教えてもらった決め台詞、全然使われへんかった!今日はこんなこと言われた!」と号泣してが作戦を練る母子。しばらくそんな日が続いた。
が、ある日、いつも言葉に詰まってうつむいてしまうのがオチなのに練習のかいあってか、ぱっとうまい切り返しをすることができた。そのときいじめっ子が一瞬たじろいだのを見逃さなかった。自転車に初めて乗れたときの感覚。これか、こうすればいいのか!
わたしの形勢が決定的に変わったのは、いじめっ子軍団のドンを撃退したときだった。おかんはこんなことも教えてくれていたのだ。
「ええか、なんでここ、弁慶の泣き所っていうのか知っているか??」
ある日、ドンがしつこく難癖をつけてきたとき、気づくと私は夢中でドンの弁慶の泣き所をけりまくっていた。わたしは黙々と蹴っていた。サッカーをするみたいに。ドンが泣き出した。その日からドンはドンでなくなり、ドンの家来たちは解散した

65nから・・・ひとつの仕事でキャリアを積み重ねていくのは安心であり安全である。でもわたしはそんなことを許される人間ではないと感じてしまい、今の自分には到底できそうもない突拍子もない仕事を敢えて選び、ぶつかっていくのである・・その姿を面白がってくれればいい、なんか元気でるな・・と。わたしの人生は自虐でできているのだ。だから肩書きにある映画監督は、わたしの勇気の証である

※・・エリーさんとお母さんのやり取りも面白い・・女性版「東京タワー」みたいな小説になりそう・・

大宮エリー(おおみや エリー、本名:大宮恵里子、1975年11月21日 - )は、日本の脚本家、CMディレクター。大阪府出身。個人事務所のSTUDIO ellie所属。

桐蔭学園高等学校、東京大学薬学部卒業。交友関係は広いらしい。

来歴
大阪府生まれで、小学校の時に東京に引っ越したが、4年のときにいじめられた経験を持つ。人を笑わすといじめられないことを覚え、その後自然とイジメもなくなった。

商社、自動車メーカー、ガス会社と数々受け、博報堂にOB見学したのをきっかけに「言葉に関わる仕事ができる」広告代理店の仕事に魅力を覚える[1]。その後電通に入社し、クリエイティブ局へ配属される。

コピーライター、CMプランナーとして活動し、7年間勤めた後、2006年に独立。

3歳から高校まで続けていたヴァイオリンを10年振りにラジオ番組「こうせつと仲間たち」にて演奏。南こうせつと共に「神田川」を披露した。

ショートムービー『海でのはなし。』では映画監督も務める。

2010年6月29日にはんにゃのピンチヒッターとして初の「大宮エリーのオールナイトニッポン」が放送されたが、南アフリカW杯の日本 - パラグアイ戦の中継の延長で全国ネットの放送時間が1時間に短縮された。また、放送中に「おまんこ」と発言するなど波乱含みの内容になった。

2010年9月16日にナインティナインのピンチヒッターとして放送。番組開始時のジングルタイトルが「守れ大人の常識 大宮エリーのオールナイトニッポン」となり、前回の反省が含まれている内容となった。

大宮エリー - Wikipedia
posted by りょうまま at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 大宮エリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする