2017年09月17日

柳田邦男「心の深みへ」「言葉の力、生きる力」

2017.9.17

心の深みへ


二十世紀における科学の進歩と物質的豊かさの広がりは、果たして私たちを本当の意味でしあわせにしたのか? 生と性の問題、死と死後の世界、信仰、たましいの存在……心理学者にして心理療法家であった河合隼雄氏が生前、ノンフィクション作家の柳田邦男氏と縦横無尽の議論を繰り広げ、心の問題をとことん掘り下げた珠玉の対談集。昏迷をきわめる現代だからこそ、胸に沁みる一冊。




2014.7.15〜

僕は9歳から死と向き合ってきた(2011.8)

著者が終生のテーマとして追い求めてきた「生と死」。その集大成!

幼少時の空襲体験で初めて目の当たりにした“人間の死”、敗戦直後に逝ってしまった兄と父、ジャーナリストとなったのち調査報道を通して向きあった大事故や災害の被害者たち、尊厳死、「がん」で死ぬということ、そして次男の自死――。幾多の死を見つめてきた著者が、自らとのかかわりを振り返りながら綴った渾身の一冊。柳田邦男『僕は9歳のときから死と向きあってきた』|新潮社

2011.7.30

7/22柳田邦男言葉の力、生きる力」2002.6月・・言葉と人生と魂について語る名エッセイ

柳田邦男:1936年栃木県生まれ。NHK記者を経て、ノンフィクション作家に。1972年「マッハの恐怖」で、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1995年「犠牲(サクリフィス)わが息子脳死11日」「ガン回廊の朝」「空白の天気図」「死の医学への日記」「この国の失敗の本質」「読むことは生きること」「緊急発言 いのちへT」「同U」など著書多数

★★★

9n〜言葉と人生の転機・・

38n〜自分の体験や人生の記録を書くという営みには、書く者の内面に不思議な変化をもたらす作用がある。
自分や家族の辛く苦しい歩みを書かないではいられない心境になったとき、書き出す瞬間は、人生に激変が生じた日々に気持が引き戻され、苦悩の刻一刻を追体験するに等しい悲愴な心境になる。そういう中で「不幸」という言葉に魅せられるのは自然な心の動きだろう。
しかし、手記を書き進み、一巻の作品として完成させると、もはや「幸」とか「不幸」という言葉の折々の風の色に過ぎなくなって、今はそれらが混在する人生のありのままを俯瞰して受け入れている成熟した自分を見出すことになる。もはや戯言的言葉にはまりきらない、生きることの全体像がそこにある。

66n〜「生きがいを捜し続けた神谷美恵子」自らの体験を出発点にして思索を深める人は、観念の遊びに陥ることなく、鋭い洞察力や先見力が発揮されるという点である

77n〜後藤正治氏「リターンマッチ」「遠いリング」「私だけの勲章」

92n〜「悲」の心を語る五木寛之・・他人の痛みを理解できても、自分の力ではどうしてやることも出来ないので、ただ涙を流す。そういう感情を「悲」という。あるいはがんばれと言っても効かないぎりぎりの立場の人間は「それ」でしか救われない。「それ」を「悲」という。そのような「悲」の心がいまこそもとめられている時代なのだと五木氏は説く。

99n〜いのちの言葉を生み出す死・・・死に直面したいわば限界状況のなかでの言語化の作業というものは、自分の命や死の意味についての言葉を見出してそれらを刻んでいくということだった。・・・痛みや苦しみを言語化して日記に書き付ける営為は、単なる叫びに終わるものではなく、むしろ魂を加熱して燃え上がらせ、精神活動をゆさぶるエネルギー放出の役割を果たしているのではないかと思われる。

posted by りょうまま at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 柳田邦男 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする