2011.8「格闘するものに◎」
2011.8「夢のような幸福」三浦しおん
2011.8三浦しをん「三四郎はそれから門を出た」
2011.6/30三浦しをん「仏果を得ず」
2018.12.28〜
134・「愛なき世界」(2018.9)
2017.1.13(金)
13.「神去なあなあ夜話」2012.11
2016.6.8(水)
55・女4人が暮らす家2015.7月
昨日、おもたーい角田さんの小説のあとなので一層読みやすくて嬉しい
三浦しをん
1976(昭和51)年、東京生れ。早稲田大学第一文学部卒業。2000(平成12)年、書下ろし長篇小説『格闘する者に○』でデビュー。以後、『月魚』『秘密の花園』『私が語りはじめた彼は』などの小説を発表。『乙女なげやり』『ビロウな話で恐縮です日記』『あやつられ文楽鑑賞』『ふむふむ―おしえて、お仕事!―』など、エッセイ集も注目を集める。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、2012年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。他に小説『むかしのはなし』『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『光』『神去なあなあ日常』『まほろ駅前番外地』『天国旅行』『木暮荘物語』などがある。
★★★
2014.1.20(月)「君はポラリス」(2007年)
再読だった・・😵・・けど面白いのでよしとしよう・・っと🎵
どうして恋に落ちたとき、人はそれを恋だと分かるのだろう。三角関係、同性愛、片想い、禁断の愛……言葉でいくら定義しても、この地球上にどれひとつとして同じ関係性はない。けれど、人は生まれながらにして、恋を恋だと知っている──。誰かをとても大切に思うとき放たれる、ただひとつの特別な光。カタチに囚われずその光を見出し、感情の宇宙を限りなく広げる、最強の恋愛小説集。 Amazon.co.jp: きみはポラリス (新潮文庫): 三浦 しをん: 本
★★★
2011.9.6〜 「小暮荘物語」(2010.11)
久しぶりのしをんさん・・やっぱり面白かった
小田急線世田谷代田駅から徒歩5分ほどの距離にある古い木造アパート「木暮荘」の住人とその周囲の人々にまつわる連作短編集
4室に人が住んでいる。 1階に住む大屋の木暮さんは70歳過ぎのおじいさん。
「シンプリーヘブン」 坂田繭は、玄関を開けて驚いた。3 年前に出ていったきり音沙汰もなかった元カレの瀬戸並木がいた
2013.7.6(土)
◆「天国旅行」(2010.3.)
君が望んでも、まだ「終わり」にはさせない。生と死を見つめ直す、「心中」をめぐる七つの短篇。
もう一度、立ち止まり、君と問いたい。そこは楽園なのかと――富士の樹海に現れた男の導き、命を賭けて結ばれた妻への遺言、前世の縁を信じ込む女の黒い夢、死後の彼女と暮らす若者の迷い、一家心中で生き残った男の決意……この世とあの世の境目で浮かび上がる、愛と生の実像。光と望みが射し込む、文句なしの傑作短篇集。
三浦しをん/著
ミウラ・シヲン
三浦しをん『天国旅行』|新潮社
2011.9.2
9/1〜「風が強く吹いている」三浦しをん2006年9月
「速く」ではなく「強く」・・目指せ箱根駅伝
才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走(かける)。奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。たった10人で。それぞれの「頂点」をめざして・・
「長距離選手に対する一番の褒め言葉がなにかわかるか」
「速い、ですか?」
「いいや。強いだよ」
「じゃあおまえら、いずれ死ぬからって生きるのやめんのかよ」
「すきなら走れ、以上」
彼らは走る。走ることによってしかたどりつけない速くて美しいまだ見ぬ高みへと近づくために。
★★★2011年
台風12号、なぜノロノロ?
中島みゆき、木村拓哉と初タッグ 〜『南極大陸』で5年ぶりドラマ主題歌 戸田恵梨香、客席からの「エリカ様」コールに困惑
★★★
まだ名前を持たない関係 ・・三浦しをん『きみはポラリス』・・伏見憲明
三浦しをんの『きみはポラリス』を読み進めるうちに、子供の頃の情景が思い出された。まだ性が言葉を持たなかった時代の自分を――。
小学校も中学年になると子供もませてきて、「○○ちゃんが好き」とか「××君から告白された」とかいった話題が教室の隅でささやかれるようになる。女の子たちにとっては、バレンタインデーに意中の男子へチョコレートを手渡すことが一大イベントだったし、とりあえず「両思い」ということになれば、ふたりだけで下校したり、二つ合わせるとハート型になるペンダントの片割れを持ち合ったりしたものだ。
ぼくが、それまでいっしょに遊んでいた女子が、どうやら自分とは異なる生き物であることがわかったのは、体育の前の着替えの時間。乳房がふくらみはじめた彼女たちが、はにかみながら男子に見られないように体育着に早変わりするほんの一瞬、はらりと胸元に大人の女のそれがかいま見えた。ブルンッとした質感が、つい昨日まで自分と同様に真っ平らだった胸元と、天と地ほどの差があるようでとまどった。そのとまどいの中に、どこかねっとりとした「そこに触れたい」という気持ちが混入していた。「性欲」という言葉さえ知らなかった生の欲求。
六年生になる頃には幼なじみの女子に告白されて、ぼくもいっぱしに「付き合う」ことにもなった。もちろん「付き合う」といっても、交換日記をしたり日曜日にいっしょに出かけたりする程度のことなのだが、それでもそこに交わされる感情は、いっしょに近所を駆け回っていた子供同士のそれではなく、甘く密やかな香りに包まれていた。
本格的に思春期を迎えて性が成熟すると、今度は自分の欲求がどうやら同性に向っていることを疑いはじめる。そういう、ぼくの「同性愛」への気づきの過程は、本書に収録されている『永遠に完成しない二通の手紙』『永遠につづく手紙の最初の一文』の登場人物に重なる。岡田勘太郎は、幼なじみで親友の寺島良介への思いが友だち以上の何かを含んでいることを薄々感じていたが、それはある時点まで「恋愛」には結びつかなかった。自分の秘めたる情感が一つの言葉に行き着くまでの道筋が、三浦が描き出した岡田という主人公の繊細さにリアルに映し出されている。ぼく自身、はじめ(時代性もあって)自分が同性愛者などとは思いもよらなかったので、それを受け入れていくのは、その欲望に言葉を当てはめていく作業そのものだった。
小説が言葉にならないものを言葉に仮託する表現ならば、ここに収められた短編は、まだ名前を持たない関係を、名前を与えないままに表した物語だ。同性の親友への切なさを「好き」という言葉に掬い上げた先の二作。偶発的に起こしてしまった殺人によって別れた男女が、それを「沈黙と忘却をもって苗床の栄養に変え」、その共犯関係をかけがえのないものにする『私たちがしたこと』。はからずも自分を「誘拐」することになった男との交流を心に温める少女を描いた『冬の一等星』……この一冊に収録されたどれもが名前のない関係に、豊饒なる魔を醸し出している。
言葉にするとそこにあったはずの魔は、どうしたわけか雲散霧消してしまう。どす黒い沃土を含んでいた関係が、名前を得た途端に渇いた大地と化してしまう。三浦が掘り起こしているのは、「恋人」「恋愛」「結婚」「同性愛」「異性愛」「不倫」といった言葉につかまえられた関係よりも、もっと生々しい欲望を手探りしている人たちの経験だ。三浦の巧妙な筆致と、狂気にも似た情によって、ぼくらはそれを自分の心に活き活きと甦らせることができる。この短編集は、だからこそ小説として成功しているのだろう。言葉によって削がれてしまう魔が、言葉によって十全に再生されている。
「同性愛者」というアイデンティティからすれば、ぼくの小学生のときの女子との交歓は、「恋に憧れる気持ち」や「まだ未分化な性」と言い得る。が、言葉で整理のつかないあの官能は、概念化された解釈が無意味に思えるほど、何か豊かな情緒を未開拓の心に敷いてくれた。そこには言葉という洗練を経る以前の魔が、確実に胚胎していたのだから。
(ふしみ・のりあき 作家・評論家)
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