2020年12月27日

高山羽根子「首里の馬」


2020.12.26 土  読みふけった

未名子はコミュニケーションが得意ではない。「問読者(といよみ)」の仕事をしながら、順さんの資料館の手伝いをして日々過ごしている。
台風一過のある朝、父なきあと一人でくらす家の庭に、「馬」がうずくまっていた。順さんの資料館のこと、「問読者」の仕事のこと関わる人々、庭にやってきた馬のこと、未名子自身のことを丁寧に書き綴った物語・・半日読みふけった。全体を通して感じるのは「孤独」。孤独は暗くて寂しくて悲しい・・けれど、物語が進むにつれて、少しづつ雲の切れ目から光が差してくるような気持ちになる。「孤独」はかわらないけれど。順さんの資料館についてもとても大事な小説のテーマ。日常生活は一人ひとり違っていてどれも尊い、記録し続けていくことで、貴重歴史となり更新されることでより良い世界を構築する一助になることもある・・ということかな。記録が消失したことで、「馬」の価値がわからなかったのだ。



CIMG3732.JPG高山羽根子「首里の馬」2020.7 163回芥川賞

沖縄の古びた郷土資料館に眠る数多の記録。中学生の頃から資料の整理を手伝っている未名子は、世界の果ての遠く隔たった場所にいるひとたちにオンライン通話でクイズを出題するオペレーターの仕事をしていた。ある台風の夜、幻の宮古馬が庭に迷いこんできて……。世界が変貌し続ける今、しずかな祈りが切実に胸にせまる感動作。 https://www.shinchosha.co.jp/book/353381/

高山羽根子タカヤマ・ハネコ    1975年富山県生まれ。2009年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作、2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2020年「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞を受賞。著書に『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『如何様』などがある。

記憶が重ねられることの価値 津村記久子

 他のものはともかくとして、記録媒体については形のある所有をすることの価値はこの十年で完全に下落したと思う。コンテンツを所有することはなしにウェブを通してサーバから好きな時に好きなものを引き出していると、データをダウンロードして端末に所持するということさえ古くさく思えてくる。
 じゃあ人々が所有の後、何に価値を置いているのかというと、おそらくそれは経験の共有で、今はかつてないほど個人がある経験を持つことがステイタスになっている。単純にこのことを要素に分解すると「経験」の「共有」となるのだが、じゃあ世間ではどちらに比重が置かれているのかというと、たぶん圧倒的に「経験」よりも「共有」に寄っていると思う。もはや経験そのものは共有の下位に存在するもので、共有されやすい経験にこそもっとも価値があるということになる。あとはもう共有の先着順と解像度と拡散の広さを競っているだけだ。
 それでも共有されない記憶となった経験は無数にある。量的にはむしろそういうものの方が人間全体のほとんどを占める。共有されることのない、評価されることのない記憶には価値がないのだろうか? もちろんそんなことはありえない、ということを、本書を読了すると思う。人間そのものとその歴史は、共有されるかどうかは問われず積み重ねられた無償の記憶でできているということを、未名子という孤独な女性の小さな生活は強く思い出させる。
 未名子は二十代半ば、沖縄の港川というところに住んでいる。順さんという年老いた研究者が作った私設資料館の資料の整理の仕事を無報酬でつとめる傍ら、オンライン通話でクイズを出すことを仕事にしている。顧客は世界中の日本語を使える人々で、彼らはだいたいたった一人で生活している。彼らが何者なのかはすぐには語られることはないし、順さんという人物についても、未名子自身についてすら、十代の頃に不登校であったということぐらいしかしばらくの間はわからず、くどくどしく説明されたりはしない。記述が進められるのは、資料の整理をし、それらをスマートフォンのカメラで撮影し、クイズを出す仕事をし、そして台風の次の朝に自宅の庭にうずくまっていた馬の世話を始めるという未名子の細々とした行動の詳細だ。
 他の誰にも共有されることも解釈されることもない未名子の生活は、だから価値がないというわけではもちろんなく、資料館での資料の管理の様子や、クイズを出すスタジオの細部についてなどはとても豊かに描かれていて、読んでいて楽しくさえある。未名子は多くを語らないでいながら、生活の変化の中で少しずつ行動を重ねるうちに、クイズの解答者たち、順さん、馬、そして沖縄という土地の記憶を自分の内部に通し、モニターのように小説の中に映し出し始める。その無口な忠実さ、自分の経験と他者の経験を秤に掛けて選別することのない謙虚さに、読み手はおそらく感動のようなものを覚える。
 未名子がいつまで経っても「まったくかわいさを感じない」という馬に関してある時に持つ、「この茶色の大きな生き物は、そのときいる場所がどんなふうでも、一匹だけで受け止めているような、ずうっとそういう態度だった」という所感が印象的だ。この様子は未名子自身にも通じるものがあるし、彼女がクイズを出す、世界の各地にいる孤独な人々のことも想起させる。孤独な人々もまた記憶を持っていて、未名子の存在を通して彼らの記憶にふれる体験は、個人的には本書でもっとも興味深く読んだ部分だった。中でもいちばん日本語がつたないという、ギバノというシェルターのセールスマンの男性が、未名子が馬を見つけたこと、馬と関わってゆくことを打ち明けたのをきっかけに、自分の幼少期の草原での体験を溢れるように語り始める様子からは、記憶を持つということの嘆きとないまぜの喜びが強く感じられる。共有されることがなくても、または誰かと誰かという最小単位でしか共有されなかったものだとしても、記憶は個人の存在を支えるものなのだ。
 順さんが資料館に溜め込んだ沖縄の資料が殊更に選別されていないものであることも、記憶の重要さに順位はないということを象徴しているように思える。馬に乗った未名子は、自分の見た沖縄、馬の見た沖縄を記録し、この世界の手に委ねることを決める。今日を生きることは記憶を重ねてゆくことだ。その蓄積の有様にこそ意味があり、それは本当に尊いものなのだと、本書は強く確信させる。
(つむら・きくこ 作家)波 2020年8月号より 単行本刊行時掲載

2020.08.20 10:00
芥川賞受賞作、高山羽根子『首里の馬』が問いかける永遠とは? 継承される意思・使命  文=細谷正充

うどんの人。高山羽根子の名前を見るたびに、そう思ってしまう。第一回創元SF短編賞を受賞したデビュー作「うどん キツネつきの」の、タイトルと内容にインパクトを感じたからである。その作者が『首里の馬』で、第163回芥川賞を受賞した。今度は、どんなインパクトを与えてくれるのだろう。

 主人公の未名子は、沖縄でひとり暮らしをしている女性だ。人づきあいの得意ではない彼女は、中学生の頃から沖縄の歴史を集めた個人の資料館に入り浸り、ボランティアで整理を続けている。持ち主である、在野の郷土史家だった順さんとの関係は良好だ。心配なのは順さんが年老いていることくらいである。

 その一方で未名子は、きちんと働いている。ただし奇妙な仕事だ。カンベ主任という男性の面接をクリアした彼女は、スタジオと呼ばれるビルの一室で、ひとりでオペレーターをしている。その内容は、遠く隔たった場所にいる人たちに、オンライン通話でクイズを出題することだ。どのような意味があるのか分からないが、この仕事に未名子は満足している。

 ヴァンダ、ポーラ、ギバノなど、オンラインで話をする相手との、さらっとした関係も好ましい。しかし台風の翌日、家の庭に、今の沖縄では幻となった宮古馬が蹲っていたことから、未名子の生活は変わっていくのだった。

 本書を読んでいて、「孤独」と「情報」が、物語を読み解くキーワードになると感じた。しかし未名子とカンベ主任の会話を見て、そんな簡単な話ではないと確信できた。ちょっと引用させていただこう。

「あなたはこの仕事にとっても向いていると思っています」
「孤独だからですか」
 カンベさんは数秒の間をおいて、軽く笑ったようだった。
「いえ、いえ。孤独だからなんていう要素が理由になる仕事は、厳密には世の中にありません」

 なるほど、たしかにそうだ。仕事だけでなく日常生活だって、他者とのかかわりがなければ成り立たない。未名子は極端に接する人が少ないだけ。無人島で自給自足の暮らしでもしないかぎり、真の意味での孤独など存在しないのだ。物語の後半で、ヴァンダ、ポーラ、ギバノの居場所が明らかになると、そのことがより明確になる。だから未名子の「孤独」に関しては、その内実を精査する必要があるのだ。 そして「孤独」と同様、「情報」も取り扱いに注意すべきである。地元の人からうさん臭く思われながら、順さんが資料館に集めた沖縄の記録。そこにどのような意味があるのか。作者は情報の力が発揮されるような派手なエピソードを創ることはしない。ただ未名子の行動と思いを通じて、情報と化した歴史や記録の価値を、静かに指し示すのだ。ここで描かれている「孤独」と「情報」は、一筋縄ではいかない深さを持ち、物語の魅力に繋がっていくのである。

 また、その背後に、沖縄の受難の歴史が横たわっていることも、見逃してはならないだろう。資料館の運命や、宮古馬が幻になった理由など、幾つかのエピソードによって、沖縄と、そこで生きてきた人々の状況が浮かび上がってくる。彼らの悲劇は大きいが、それゆえに加害者の立場になる場合もあるということは、資料館の扱いを見れば明らかだ。

 さらにラストの未名子の姿から、世界とコミットする方法が、消極的なものから積極的なものになったように見える。しかしそれを、「成長」というのは間違いだろう。彼女の本質は変わっていない。

 本書の中に、「この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。自分の手元にあるものは全世界の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すというのが自分の使命だと、未名子はたぶん、信念のように考えている」という一文がある。彼女の生き方はこれからも変わるかもしれないが、信念は変わることがないだろう。それはとても嬉しいことである。なぜなら私たちもいつか死に、情報になるからだ。順さんから未名子、そして未名子から誰かに受け継がれるはずの使命が、私たちの存在を永遠のものにしてくれるのである。

 ところで本稿の冒頭で、高山羽根子のことを、うどんの人と書いた。だが、本書を読んでしまったので、これからは“馬の人”と思うことになりそうだ。芥川賞がどうだとか関係なく、それほど強いインパクトを与えてくれる作品なのである。

■細谷正充
1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。

■書籍情報『首里の馬』著者:高山羽根子 出版社:新潮社
posted by りょうまま at 15:50| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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