2015年08月31日

穂村弘「本当は違うんだ日記」「整形前夜」「にょっ記」「絶叫委員会」「もしもし運命の人ですか」

2015.8.31(月)〜・・どういうわけかまた借りてきてしまったのだ・・おもしろいからいいけどね
2015.8.4(火)〜

本当は違うんだ日記」(2005.6)

・私はエスプレッソが好きだ・・
・・・私は小銭入れを使えない・・小学校6年生のときの卒業記念の文集・・あだ名を持たない私は「あだ名」ランのところに「ホムラ」と書いた・・・高校生のときの友達トースケはカッコよかった・・・

2015.8.1(土)

78整形前夜(2009年)

P101・・我々は生き延びる必要がある・・しかし生き延びるために生まれてきたのではない。ではなんのために生まれてきたのだろう。・・フィリップマロウは「しっかりしていなかったら生きられない、優しくなれなかったら生きている資格はない・・」、追加として穂村は・・「幻の鐘が聞こえねば生きている意味がないと思うのだ・・」・・

本当の今日は、いつも1日先にあるように思えてならない。
『世界音痴』『にょっ記』の著者による最新エッセイ集

明日死ぬかもしれない、を前にノーマ・ジーンは微笑み、詩人はお菓子をポケットにしのばせた。
非エレガンスのドミノ倒し/七三からの脱出/映画と現実/もうひとつの時間/普通列車「絶望」行/好き好きセンサー/他者の心の謎/逸脱者の夢/来れ好敵手/自意識トンネル/裏返しの宝石/共感と驚異/表現の痕跡/言葉の迷宮(低次元バージョン)/ふたつの人生が混ざる場所/恋への挑戦――<目次より>
Amazon.co.jp: 整形前夜: 穂村 弘: 本

2015.7.21(火)

もしもし運命の人ですか2007.3

P6〜「恋のはじまりのときは楽しい・・相手のやることがことごとく心に響くというか、素敵に思える・・」

やっぱり笑える・・
たとえば・・「ときめき延長作戦」では、「ときめき」は飛行機の上昇カーブにたとえれば、上昇する速度をゆっくりにすればよいのではないかと提案する・・具体的には・・相手のことをきかない、自分のことを話さない。。等々・・実体験解説つき

p12〜「いちゃいちゃ界」・・「ふたりっきりになると、突然、幼児化する男性がいて驚くんです」と話す女性編集者。・・「・・おなかが減ったぴょん、とか言うんですよ」




2015.7.14(火)・・笑いが止まらない・・

絶叫委員会」(2010年)

町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。突然目に入ってきた「インフルエンザ防御スーツ」という巨大な看板、電車の中で耳にした「夏にフィーバーは暑いよね」というカップルの会話。ぼんやりしていると見過ごされてしまう言葉たち…。不合理でナンセンスで真剣だからこそ可笑しい、天使的な言葉の数々。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)穂村/弘
1962年北海道生まれ。歌人。上智大学文学部英文科卒。’90年に歌集『シンジケート』でデビュー。短歌にとどまることなく、エッセイ、評論まで広く活躍中。短歌評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) Amazon.co.jp: 絶叫委員会 (ちくま文庫): 穂村 弘: 本

2015.7.13(月)

くすくす笑いながら一気読み・・・・面白かった

たとえば・・

p58・・濁点がたくさん打てる言葉と打てない言葉がある・・たくさん打てる言葉の例「ずがっどざわやがゴガゴーラ」・・

ほか爆笑のオンパレード

にょっ記」(2006.10)

今からジャニーズの一員になることがあろうかと考えたり、電車で武将OLに出会ったり。俗世間をイノセントに旅する歌人・穂村弘が形而下から形而上へ言葉を往還させながら綴った“現実日記”。ほんのり笑って、時に爆笑。フジモトマサルのひとこまマンガ+カットでニヤリもプラス。長嶋有・名久井直子ペアの「偽ょっ記」収録。他人の日常って、ほんとうに奇妙なもの。ましてや鬼才ホムラヒロシともなれば…。くすくす笑いとハイブロウな後味のウソ日記。挿絵はフジモトマサルのひとこま漫画。『別冊文芸春秋』連載に加筆して単行本化。

イノセント・・・1 無実の。潔白な。2 純潔な。また、無邪気な。


Amazon.co.jp: にょっ記: 穂村 弘: 本

穂村弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。北海道札幌市生まれ[1]。歌誌「かばん」所属。加藤治郎、荻原裕幸とともに1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。

北海道札幌市に長男(ひとりっ子)として生まれる。父親の転勤で、2歳の時に神奈川県相模原市に移る[2]。その後横浜市を経て[2]、小学5年から高校卒業まで愛知県名古屋市昭和区で育つ[2]。名古屋市立桜台高等学校では天文部にて伊藤史隆と同期。北海道大学在学中に、友人の影響で塚本邦雄の作品を読んだことから、短歌に興味を持ち始める。1983年、上智大学文学部英文学科に入学。ベンチプレスに熱中し始める。1985年、林あまりらの作品に触発され、作歌を開始[3]。1986年、連作「シンジケート」で第32回角川短歌賞次席。この年の受賞者は俵万智だった。「かばん」誌上にて林あまりに激賞される。

1987年、上智大学文学部英文学科を卒業。卒業論文はヘミングウェイ。システムエンジニアとして就職し、その後総務課へ移る。荻原裕幸が企画・運営したシンポジウムに参加、同世代の歌人たちと知り合う。1988年、歌誌「かばん」に入会。1990年、第1歌集『シンジケート』を刊行。石田比呂志に「同じ人間の作ったものがわからんはずがないと心を奮いたたせるのだが、力めば力むほどチンプンカンプンで歯が立たぬ」、高橋源一郎に「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と評された。1992年、第2歌集『ドライ ドライ アイス』を刊行。「夏休みの自由研究みたいな感じ」を目指した作品であった。
・・以下続く・・穂村弘 - Wikipedia
posted by りょうまま at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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