2019年01月03日

「おまじない」「I」『まく子』『サラバ!』(上・下) 西加奈子著

2019.1.3 1「おまじない

「人はいなくなっても、言葉は残る。
誰かの言葉に縛られる絶望は、誰かの言葉に守られている希望に替えていけばいい。
本書の物語は、そう力強く告げている。」(文月悠光・詩人)
「「燃やす」を読んで、自分の中にいた小さい頃の自分を思い出して泣きました。」(読者)
「誰にも知られない苦しみによりそってくれる、おまもりみたいな本」(読者)

TBS「王様のブランチ」で紹介!(3/31 O.A.)
読書メーター「読みたい本ランキング」第1位(1/22-2/21)


「サラバ」「i」に続く、直木賞作家・西加奈子待望の最新刊! 大人になって、大丈夫なふりをしていても、ちゃんと自分の人生のページをめくったら、傷ついてきたことはたくさんある――。
それでも、誰かの何気ないひとことで、世界は救われる。
悩んだり傷ついたり、生きづらさを抱えながらも生きていくすべての人の背中をそっと押す、キラメキの8編。
「あなたを救ってくれる言葉が、この世界にありますように」――西加奈子
【収録作品】1 燃やす2 いちご3 孫係4 あねご5 オーロラ6 マタニティ7 ドブロブニク
8 ドラゴン・スープレックス



2017.1.19

「I」(2016.12)

2016.8.16~

75「まく子」2016.2

P72.。コズエのはなしをまとめると・・コズエは土星近くにある星から宇宙船に乗ってやってきたそうだ・・

僕は大人になるのがこわかった。なぜなら・・それは「死」に近づくことを意味するから。「死」を怖く思うというのは、自分の「死」だけではなく、自分が大事に思っている人、大好きな人の「死」も想像してしまうから。

p162・・まく子「永遠に続かないからきっと素敵なんだよ」

夏休みが終わり、まく子は「小さな永遠を終わらせないといけない」と「小さな永遠を大きな永遠に変えるのだと自分の星へ帰ることに決めた

ぼくたちはだれかと交わる勇気を持たなければいけない。あのひとはぼくだったかもしれないと想像する勇気を持たないといけない。誰かを傷つけたらそれはほとんど僕を傷つけていると同じだ・・絶対に誰かを傷つけてはいけない

宇宙って広い・・いろんな星があっていろんな生命体がいるのだ。

★★★

小さな温泉街に住む小学五年生の「ぼく」は、子どもと大人の狭間にいる。ぼくは、猛スピードで「大人」になっていく女子たちがおそろしく、否応なしに変わっていく自分の身体に抗おうとしていた。そんなとき、コズエがやってきた。
コズエはとても変だけれど、とてもきれいで、何かになろうとしていなくて、そのままできちんと足りている、そんな感じがした。そして、コズエは「まく」ことが大好きだった。小石、木の実、ホースから流れ出る水、なんだってまきちらした。そして彼女には、秘密があった。彼女の口からその秘密が語られるとき、私たちは思いもかけない大きな優しさに包まれる。信じること、与えること、受け入れること、変わっていくこと、そして死ぬこと……。この世界が、そしてそこで生きる人たちが、きっとずっと愛おしくなる。西加奈子、直木賞受賞後第一作。究極のボーイ・ミーツ・ガールにして、誰しもに訪れる「奇跡」の物語。
まく子」 西加奈子 | 福音館書店

評・若松英輔(批評家) 『サラバ!』(上・下) 西加奈子著 2015年02月02日 08時06分

信じる 新生の物語

 本作は直木賞を受賞した。しかし私たちが目にするものは、従来の領域を大きく超えた地平である。

 作者は物語を作っているというより、それを生きている。読者もまた、傍観者であることはできない。読むとは、ひとたび物語を生きてみることだという文学の秘儀を思い出すことになるだろう。

 主人公の名前は「圷あくつ歩あゆむ」という。異国イランに生まれたことを皮切りに男は、名前の通り地を這はうような人生を進むことになる。友人と別れ、一家は離散し、恋人にも裏切られる。自分の居場所だけでなく男は、どう生きているのかも見失ってしまう。しかし男は、転んで、立ち上がろうとするときに大切なものを、わずかにかいま見る。倒れるのは、失敗の結果ではなく、探しているものへの着実な一歩だということが、見事に描き出されている新生の物語だ。

 この小説には、いくつか鍵となる言葉が潜んでいる。「サラバ」はもちろん、「信じる」もその一つだ。さまざまな「宗教」と信仰者が登場する。イスラム教、コプト教徒、主人公に近い「矢田のおばちゃん」も宗教じみたことをやっている。登場人物はそれぞれ「信じる」ことによって探しているものを見出みいだそうとする。

 二十世紀の優れた思索者たちは、宗派としての宗教の彼方かなたに霊性的世界というべき境域があることを示そうとした。そこで人は、何を信じるかではなく、真に信じるという営みによって深くつながり得るというのである。信じるもの、そこには自己も含まれる。このことはそのまま、本作の主題の一つになっている。宗教的、哲学的主題が生きた人間のかたちをして問われているのである。

 ある詩人の作品を読んだとき、高村光太郎はこう語った。「私はおそろしい詩集を見た」。高村は讃辞さんじを表すことを忘れるほどそこに見た言葉に驚きょう愕がくしたのである。「詩集」を「小説」に変えれば、そのまま本作の読後感になる。

 ◇にし・かなこ=1977年、テヘラン生まれ。『通天閣』で織田作之助賞、『ふくわらい』で河合隼雄物語賞。

 小学館 上下各1600円


芥川賞に小野正嗣さん、直木賞は西加奈子さん2015年01月16日 09時22分

 第152回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に小野正嗣まさつぐさん(44)の「九年前の祈り」(群像9月号)、直木賞に西加奈子かなこさん(37)の「サラバ!」(小学館)が決まった。副賞各100万円。贈呈式は2月中旬に行われる。
 小野さんは、2001年にデビュー。02年、「にぎやかな湾に背負われた船」で三島由紀夫賞を受賞。4回目の候補で芥川賞を射止めた。
 芥川賞の小川洋子選考委員は、「(発達に)困難を抱えた少年を丸ごと受けとめる土地の力をうまく小説にした」と評価した。
 西さんはテヘラン生まれ。小学生の4年間をカイロで過ごした後、26歳まで大阪で暮らした。2004年、「あおい」でデビュー。13年、「ふくわらい」で河合隼雄物語賞。直木賞は2度目の候補での受賞。
 受賞作は、著者自身の生い立ちと似た幼少期を過ごした男性が、家族関係に悩みながら自意識と折り合いをつけ、成長していく姿をつづる長編小説。
 直木賞の林真理子選考委員は、「あふれでるような才能を評価した。信じるものに向かって進むメッセージを感じた。多くの若い人に読んでほしい」と語った。
2015年01月16日 09時22分 Copyright c The Yomiuri Shimbun
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両親にウソつき上京…11年後に直木賞受賞2015年01月16日 09時22分
第152回直木賞に決まった西加奈子さん 37


「デビューした時は5冊書ければすごいと思ってました。直木賞なんて、ただびっくりです」

 受賞作「サラバ!」は、作家生活10周年の記念作。新人賞を得ての華々しいデビューではなかっただけに、「10年前の私に言ったら、絶対信じないと思う」。

 関西大卒業後、アルバイトをしながら書いた小説を手に、「仕事が見つかった」と両親にウソをついて大阪から上京したのは26歳の夏。「30歳までは頑張る」覚悟だったが、翌春の出版が決まり、以来、生み出した小説は19作。「なんで私は私なんやろって、ずっと書いてきた気がします」

 その根っこは、カイロで過ごした少女時代にある。駐在員の娘としての豊かな暮らしと、現地の子らの生活との格差を前に抱いた罪悪感。「私と彼らは何が違うの? 私が彼、彼が私だったかもしれないのに」

 現在は夫と、拾った猫と暮らす。その猫に教えられた。他人にはなれないが、懸命に想像することはできると。「何もしゃべらへんから、私がこの子に一番やと思うことをするしかない」。小説も同じ。「自分がいいと思うことを全力で書くだけです」(文化部 村田雅幸)


私であること 奇跡も絶望も物語に…西加奈子さん
2014年12月03日 13時34分


「なんで私は私なんやろ」

 作家デビューから10年。ずっと、そんなことを書いてきた気がする。なぜ、自分は自分として生まれたのか。彼でも彼女でも他の国の人間でもない、この私に。

 それは、幼いころから抱く疑問だった。「最初に感じたのは、父の仕事の関係で小学1年から4年までを過ごしたカイロでのことでした」

 多くの駐在員家庭がそうであるように、高級住宅地に住み、メイドを使う日々。でも一歩街に出れば幼い目にも映った。現地の子供とは肌の色も着る服も、住む家の大きさも違うことが。

 「ぼろぼろの靴の子、靴すらなくはだしでゴミを拾う子、学校にも行っていない子らと遊んだりするうち、私と彼らは何が違い、なぜ私がこんな暮らしをできているのかと思うようになったんです」

 ――自分の手柄でもないのに。

 罪悪感が生まれ、恥ずかしくもなった。メイドが、自分と同い年ぐらいの息子を連れてきた時は、彼にビー玉をあげた後、ひどく悩んだ。「母親が外国人の子供をかわいがり、その子からビー玉をもらうのはどんな気持ちだろう。彼を傷つけはしなかったか」

 葛藤は帰国し、以前の「中流」の暮らしに戻るまで続いた。「大勢の中の一人になれて、ほっとしたんです」

 とはいえ、日本にいても国内外の様々な出来事は伝わってくる。だからしばらくは「苦しそうなニュースは見んようにしてた」。知れば心が乱れる。「なぜ自分じゃないのか」と、しんどくなる。

 閉じた目を開くきっかけをくれたのは、高校1年で読んだ小説だった。ノーベル文学賞作家トニ・モリスンが、白人に憧れる黒人少女の悲劇を描いた『青い眼がほしい』。残酷な世界から目をそらさずに書かれた物語は、どこか美しさもたたえていた。

 「私たちがいけないと思っていることは本当にいけないことなのか。どうしていけないのか。いったん全部を並べて提示してくれていた」

 「これが正しい」とは書かず、判断は読者に任せる。そのスタンスは、作家となった自身が心がけるものにもなった。人は、帰属する社会の価値観に支配されるが、たとえば『きりこについて』(角川文庫)を〈きりこは、ぶすである〉と書き出し、以降「ぶす」という単語をすべて太字にしたのは、「ぶすってなんやって考えてほしかったから」。自分と似た生い立ちの青年を描く最新刊『サラバ!』(小学館)でも、人生に迷う主人公に姉が語る言葉として、こう記した。〈あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ〉

 なぜ自分は自分なのかは、まだ分からない。けれど、小説を書き続けてきたことで、「私はどうしようもなく私なんだと、だんだんはっきりしてきた」と言う。登場人物らの人生を共に生きれば、彼らは皆、自分から逃れられずにいた。「そのことに感動し、絶望もしたんです」

 長い生命の歴史の中、ただ一人の自分が存在する奇跡。絶対に他人にはなれず、その心は想像するしかない現実。だから物語は、奇跡も絶望も描くことになる。

 昨年7月、『ふくわらい』(朝日新聞出版)で河合隼雄物語賞を受けた。その際のスピーチは、自身も覚えていない。が、それ故、その言葉は作家の本心を表していたに違いない。こう話していたのだ。

 「私の物語がほんの少しでも誰かの救いになるなら、全力以上の力で、血だらけ、傷だらけになって書いていく」 それが今、「私」ができることだから。

(文・村田雅幸 写真・立石紀和)

 にし・かなこ=1977年、テヘラン生まれ、大阪育ち。2004年、『あおい』でデビュー。08年、『通天閣』で織田作之助賞。13年、『ふくわらい』で河合隼雄物語賞。

2014年12月03日 13時34分 Copyright c The Yomiuri Shimbun
ラベル:サラバ
posted by りょうまま at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 西加奈子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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