2017年06月21日

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」「王国」「迷宮」「あなたが消えた夜に」

2017.6.21(水)

105.「何もかも憂鬱な夜に
施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。

p160・・・「自分以外の人間が考えたことを味わって自分でも考えろ」「考えることで人間はどのようにでもなることができる。世界になんの意味がなかったとしても人間はその意味を自分で作り出すことができる」


2015.10.21〜??
王国

組織によって選ばれた、利用価値のある社会的要人の弱みを人工的に作ること、それが鹿島ユリカの「仕事」だった。ある日、彼女は駅の人ごみの中で見知らぬ男から突然、忠告を受ける。「あの男に関わらない方がいい…何というか、化物なんだ」男の名は、木崎―某施設の施設長を名乗る男。不意に鳴り響く部屋の電話、受話器の中から静かに語りかける男の声。「世界はこれから面白くなる。…あなたを派遣した組織の人間に、そう伝えておくがいい…そのホテルから、無事に出られればの話だが」圧倒的に美しく輝く強力な「黒」がユリカを照らした時、彼女の逃亡劇は始まった。Amazon.co.jp: 王国: 中村 文則: 本

2015.9.28〜2015.10.9(金)・・ようやく読了・・いったい何日かかったのやら・・

あなたが消えた夜に2015.5

ある町で発生した連続通り魔殺人事件。
所轄の刑事・中島と捜査一課の女刑事・小橋は
目撃証言による“コートの男”を追う。
しかし事件は、さらなる悲劇の序章に過ぎなかった。
“コートの男”とは何者か。誰が、何のために人を殺すのか。
翻弄される男女の運命。神にも愛にも見捨てられた人間を、
人は救うことができるのか。

いま世界が注目する人気作家。
デビューから13年、著者が初めて挑む警察小説。
人間存在を揺さぶる驚愕のミステリー!Amazon.co.jp: あなたが消えた夜に: 中村文則: 本

2015.1.10

7、中村文則「迷宮」2012.6

「僕」が何気なく知りあった女性は、ある一家殺人事件の遺児だった。密室状態の家で両親と兄が惨殺され、小学生だった彼女だけが生き残った。「僕」は事件のことを調べてゆく。「折鶴事件」と呼ばれる事件の現場の写真を見る。そして……。巧みな謎解きを組み込み、圧倒的な筆力で描かれた最現代の文学。著者最高傑作。
発売日:2012/06/29

――中村さんは、2002年に25歳で新潮新人賞を受賞し、27歳で芥川賞を取られて、その後も着実に作品を発表され、今月11冊目になる本『迷宮』を刊行されます。デビューして10年となる今年刊行される本書は特別な一冊と感じられる小説です。この小説を書かれるにあたって、そのことは意識されましたか?
中村 小説を書く度に、これまでの最高傑作を、という意識はあるのですが、今回は特にその思いが強かったです。
 ちょうど節目にくる小説なので、自分の名刺代わりになるような作品を書きたいと思いました。デビューの頃の原点にある意味で帰りつつ、かつ新しいことをやろうと。新たなデビュー作のつもりで書きました。十年やってこなければこういう小説は書けなかったと感じています。
――主人公の「僕」は、迷宮入りとなった、一家殺人事件の生き残りである女性とある理由で知り合い、惹かれていきます。「僕」は、現場の状況から「折鶴事件」と呼ばれることになった事件のことを調べてゆき、その現場写真を見る。いくつもの謎が重なって、読者を引き込んでゆきます。本格的なミステリーとしても読める小説ですが、事件の謎解きに沿って、解かれる家族の謎、主人公と恋人の謎。人物の関係性は、大きな文学のテーマだと感じられます。
中村 そうですね。読み進めば読み進めるほど、この「迷宮事件」の謎は大きくなっていきます。「あるいは、まるで日置剛史なんて初めからいなかったみたいに/彼の死体が……」というところまでくると、謎はMAXになる。そうやって謎が限界まで大きくなったところで、一気に謎の解決に向かう。そういう流れを意識しました。
 読書は、運動でもあると思うんです。どんどんページをめくっていって、小説の世界の中に浸ってもらって、楽しんでもらいたいです。読みやすく、かつ雰囲気をもった文章ということも意識しました。読書しながら時間を忘れる体験は本当にいいものですので、そうなってもらえるような小説を書きたいと思いました。
 エンターテインメントの謎解きの魅力と、純文学特有の人間の深層心理。この両方を味わってもらおうと。
――小説の構想を始められた頃が3・11の震災と重なっています。震災が作中にも重要な場面として、書かれています。震災とリンクしてこの小説を変えていかれたことがありましたか?
中村 海外の現代小説を読むと、その国、そこで生きる人々の空気がよくわかるんです。記録、としてではなく、文学の言葉として。小説にはそういう役割もあるのだなと。
 自分の小説が欧米圏にも訳されるようになってきたので、世界文学を意識するようになりました。この『迷宮』を書く時に、この物語の時期設定を、震災後の数週間以内の東京とすることは最初から決めていたんです。作家として、日本の、あの時期のことは文学の言葉として残さなければならないと。それも文学の役割であると。……僕は福島大学を卒業している、ということもあります。あの震災は、内面がえぐられるというか、僕にとっても非常に大きな出来事でした。
――冒頭で、主人公が幼い少年の時に、白衣の男に選択を迫られる場面が描かれます。デビュー作以来、少年と文学と言うことを考えて来られたと思います。
中村 書いている時に、小さい頃の、目つきの悪い自分がすぐ側にいるような気がします。小さい頃、あまり平和ではなかったので、作品に現れてしまうのだと思います。
――影響を受けた作家として、ドストエフスキーを一番にあげていらっしゃることが多いかと思いますが、この小説は家族と殺人という題材もあって中村さんの作品の中でも特に「カラマーゾフの兄弟」と重なる印象があります。中村さんにとっての文学、あるいは好きな小説について、話していただけますか。
中村 ドストエフスキーと言うと難しく聞こえますが、彼は当時は大衆作家です。職業作家の走りでもあった。よく読むとエンターテインメントですよ。彼の文章はロシア語でも大変読みにくいそうですが(笑)。
 文体か物語か、という議論がありますが、そういうのはもう古いと思っています。物語が面白くて、かつ文体も魅力的というものがあっていいはず。最近目指しているのはそこです。そもそも、物語性を否定するなら、ギリシャ神話なども否定しなければならなくなる。文学というものが狭くなるだけです。
 この「迷宮」は、『カラマーゾフの兄弟』とは全く違う物語ですけど、精神的な面では繋がっていると思います。ドストエフスキーを読んで圧倒された経験を、自分の小説に活かしたいというか……。従来の文学の伝統を壊すのではなく、その上に新しさを積み上げて革新させたい、と思っています。より現代的に。
――「人は覚悟もないまま、悪を成すことができるのか?」という大きな問いかけがあり、悪について今まで以上に掘り下げて考えられた物語がまた一つ誕生したと感じられました。
中村 先日ある人が、「この『迷宮事件』は殺人事件なので異常な事件だけど、出てくる人物達ははっきりと異常といえる人はいないですよね」と仰ってくれました。よく読んでくださってるなあと。
 出てくる人物達は少し逸脱してしまっただけなんです。でもそれが積み重なり、混ざっていくと、とてつもなく異常な現象が「犯罪」として出現してしまう。そういうことも意識しました。
――冒頭の場面に出てくる「分身」という言葉が、後半の鍵となって来るところも興味深い構成です。現代的な切実なラブストーリーにもなっている小説だと思います。
中村 分身、というのは、内面に抱えるもう一人の自分という意味もあります。人は誰でも、他人にはあまり言えないことを抱えていると思います。
 子供は、周囲に誰も味方になってくれる者がいない時、架空の存在を創り出します。僕がそうでした。そのことも、この小説にとってとても大きいテーマです。出てくる登場人物はほとんど成人ですが、それぞれが内面に何かを抱えています。
 ラブストーリーという点では、そうも読めると思います。まあ、かなり特殊なラブストーリーですが(笑)。でもありがちなものよりはいいのではないか、と思っています。
――主人公が惹かれてゆく女性紗奈江は、初めはさりげなく登場しますが、次第に圧倒的な存在感を帯びてきます。
中村 謎を秘めた女性というのは魅力的だと思います。
 裏テーマでは、サディズムとマゾヒズムの関係というのもあります。ムチとかは出てこないので、あくまで精神的な意味ですが(笑)。サディズムは支配しているように見えて、実はマゾヒズムに支配されているんですね。
 主人公は、「どうしてこうなったのだろう?」と常に思いながら、気がつくと紗奈江の思い通りになっている。この関係は怖くもあります。しかも彼女には、主人公を支配しているという自覚がない。自覚がない行為というのも怖いです。でもここには得体の知れない引力があるんですね。
――中村さんの小説の中では珍しく、ある意味で、ハッピーエンドと言える終わり方になっていると思います。
中村 そうかもしれないですね。人によって捉え方はそれぞれだと思いますけど。
 ここ数年、バッドエンドで終わる小説は避けています。バッドエンドで終わるのは、ある意味では安易でもある。かといって、単純なハッピーエンドも避けている。これも安易なので。現実というのは味気ないので、あまり単純なハッピーエンドだと、「はいはい、良かったね」と思えてしまう。逆に寂しくなるんですね。そういうのは好きではないです。読んだ人の中に何かを残したい。だから終わり方はとても考えます。
 小説は、テレビや映画や漫画やネットでは味わえない世界を提示しなければならない。当然それを書くのは大変ですが、その意識がないと駄目だと思っています。


(なかむら・ふみのり 作家)

中村文則『迷宮』|書評/対談|新潮社
posted by りょうまま at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 中村文則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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