2019年08月08日

「あちらにいる鬼」「リストランテアモール」「その話はきょうはやめておきましょう」「赤へ」「あなたにだけわかること」「あなたの獣」「綴られる愛人」井上荒野

井上荒野さん × 須賀典夫さん】結婚を保証だと考えると、人生がつまらなくなりそう。【前編】一方の須賀さんは、作家である妻をどう見ているのだろうか?
「私の仕事を手伝ってくれているときも、できることならまた小説を書いてほしいと思っていました。彼女はね、完ぺきですよ。人として間違ったことをしないわけです。対人関係においても、こうしたらこういう結果になるだろうと先のことまで考えられるから、誰かを不快にさせたりすることがない。想像力があるっていうのは、人間としても作家としても大事なことですよね

2019.8.8 〜 8/9

100「あちらにいる鬼」2019.2 CIMG2599.JPG

あちらにいる鬼 井上 荒野 定価:1728円(税込)発売日:2019年2月7日 四六判上製 312ページ

瀬戸内寂聴さん推薦 モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作!!

作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。五歳の娘が将来小説家になることを信じて疑わなかった亡き父の魂は、この小説の誕生を誰よりも深い喜びを持って迎えたことだろう。作者の母も父に劣らない文学的才能の持主だった。作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう。――瀬戸内寂聴

人気作家の長内みはるは、講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎と男女の関係になる。
一方、白木の妻である笙子は、夫の手あたり次第とも言える女性との淫行を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。
だが、みはるにとって白木は肉体の関係だけに終わらず、<書くこと>による繋がりを深めることで、かけがえのない存在となっていく。
二人のあいだを行き来する白木だが、度を越した女性との交わりは止まることがない。
白木=鬼を通じて響き合う二人は、どこにたどりつくのか――。

父・井上光晴と母、そして瀬戸内寂聴の<特別な関係>に、はじめて光をあてた正真正銘の問題作にして、満を持して放つ著者の最高傑作!


2019.7.29

94.リストランテアモール

2019.6.11 火

75.「その話はきょうはやめておきましょう」(2018.5)ロードバイクでランチに行くことが趣味の69歳と72歳の夫婦・・オットの骨折をきっかけにすっかり世界が変わってしまったと感じる69歳ゆり子・・さて(・・? ロードバイク店で顔見知りになった26歳の一樹も絡んできて・・さて(;^ω^)  CIMG2504.JPG



2017.1.11(水)

11.綴られる愛人(2016.10)


オットの真哉・・殴るのは得意殴り合いは苦手

クモオ

航大

評・松山巖(評論家・作家)『綴られる愛人』 井上荒野著
2016年11月14日 05時27分
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20161107-OYT8T50066.html#csidx0aa96834729a8e399519ee362c89e5b
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人生変える偽りの文通

 本長篇へんは実に奇妙な物語の設定で始まる。
 まずクモオという金沢に住む会社員らしき男が、凛子という女に綴つづった手紙が紹介される。ところが、その手紙を読んでいるのは柚ゆうという女である。そして次に紹介されるのはクモオ宛ての凛子の返事だ。ただ、この手紙を読むのは航大こうたという魚津うおづに住む大学三回生のようだ。
 つまり航大はクモオという名で、柚は凛子という名で、互いに偽って文通しているのだ。しかも柚は自分が夫から暴力を受け続け、空手の指導者である航大に夫を倒して、いや殺して欲しいと頼み、航大の方は手紙で柚の依頼を承知したという緊迫した状況だと分かる。しかも航大は計画決行のために東京へ向かうことも。
 ここまでがプロローグで時期は二月。そこから物語は一旦いったん、半年以上前の八月に戻る。
 航大はすべてがつまらなく人生に飽き、「何かの腹の足しになる」気で、「綴り人の会」に入る。入会するとまず会報に自己紹介文を書く。この自己紹介文を読み、気に入った相手に手書きの手紙を封筒に入れ、送料と手数料を合わせた切手と共に会に郵送する。この仕組みで本名も住所も不明のまま航大と柚は文通を始める。
 しかも航大は三十五歳の商社マンで空手の指導者だと偽り、柚は著名な三十五歳の児童文学作家なのに、二十八歳の専業主婦で夫からDVを受けていると嘘うそを綴って。ただ柚は、編集者である夫に、発表する物語もエッセーもすべて決められ、自分の思う通りに執筆が出来ない。
 つまり二人共、自分の人生を変えたくて互いに嘘を吐つき合う。特に航大は人生の意味を求めるために柚の夫を殺そうと決心するのだ。
 実に上手うまい心理サスペンスだ。読み始めは奇妙でも読者は、次第に手紙で二人の心理がどう変化するか気になって仕方なくなるだろう。
 二人が自分と周りを見つめ直し、薄い光が射さす結末で、読者は彼らの行く末を考えるだろう。作者が新しい試みを込めた意欲作だ。
 ◇いのうえ・あれの=1961年、東京都生まれ。『切羽へ』で直木賞受賞。他に『そこへ行くな』『つやのよる』など。
 集英社 1500円

http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20161107-OYT8T50066.html#csidx32a418e1c416f9bb84fbc934ef11bc3
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2016.7.27(水)

72.「赤へ」(2016.6.20)

@虫の息・・p6バラ園を抜けて入っていたら、歩道にバラの実が落ちていて、諭(さとし)は未果里の尻を思い出した。高さのある小さな尻。硬い肉がみっちり詰まっているような尻・・バイト先の市民体育館は公園の中心にある。

大学1年生の美しい美果里はとても退屈している、「虫の息」の80歳超えの老嬢2人もたぶん退屈している。美果里は自分もいずれ老いることにはこれっぽっちも気が付いていない・・若くても老いても人生は退屈なのだ・・というお話

A

2014.12.21〜・・エッセイ集

あなたにだけわかること」2013.5

2013.11.11・・一気読み・・・2014.11.12再読

5歳のときに知り合った俊と夏。きっかけは俊の母親と夏の父親の不倫。
俊の母は外科医の夫をもち、夏の父親は妻を亡くしている。
俊と夏の人生を描きながら節目節目でかかわりを持つ二人の姿

俊・・がり勉少年の小中学生。医学部を目指していた高校生のときガールフレンドとのセックスに夢中になり医学部受験に失敗、サラリーマンとなる。サラリーマン生活2年目のとき父親がやってきて母と離婚することにしたと話す。俊はその翌年、同僚の奈保子と結婚、男の子の父親にもなる。浮気もする。母親も病気で泣くなり、定年を5年後に控えたころガンを発症、妻奈保子からは離婚を望まれる。

夏・・小中学生時代は不良。高校卒業後は保育士となり自立。一番好きな男性だった千秋と結婚し、女の子の母親になる。千秋の浮気で離婚、一人で子供を育てる、娘は妊娠中絶を経験、夏の父親は痴呆症になりさらに行方不明にもなる・・

★★★

直木賞受賞作『切羽へ』をはじめ、大人の恋愛と一筋縄ではいかない関係を描いて独自の魅惑的な小説世界を展開する著者が、男と女の「愛ではないけれど、愛よりもかけがえのない関係」を描く長篇小説。

桐生駿と野田夏が初めて出会ったのは共に5歳のとき。夏の父に恋をした駿の母が、密会のため息子を連れて夏の家に通ったからだ。親同士の情事のあいだ、それとは知らず階下で待っていた幼いふたりは、やがて親たちの関係を知る。以来、別々の人生を歩み始めたふたりは、互いに「できれば思い出したくない相手」と感じながらも、なぜか人生の曲がり角ごとに出会ってしまう。まるで、互いの恋愛の証言者のように……。
それぞれおろかな恋愛を重ねながら、人生における愛のどうしようもなさを受け入れていく男女の関係を描く長篇小説。

あなたにだけわかること 井上荒野 講談社

2013.11.10〜

あなたの獣井上荒野2009年1月

◆「祭」・・・哲太には21才になる息子・渡がいる。渡とは4歳のときに別れて以来会っていない。渡の母親で元妻の奈保子がガンでなくなった。哲太はお焼香をあげるため、渡のすむ街へやってくる。渡への土産は雨合羽だった・・

◆「海」・・・哲太はいま、昌と貴太の1DKの住まいに1年近く居候している。哲太は10年前に昌と別れて奈保子と結婚したのだった。哲太、昌、貴太は海水浴にやってくる。となりの家族連れには愛人の娘もまざっているようだった。昌は「なぜ10年前に私を捨てたのか」と哲太に聞く・・

★★★

あなたがいないのは、あなたのせいじゃないの。妻は、僕の答えを待ってさえいなかった。たゆたうように女の間をぬって生きた櫻田哲生の生涯を、10の物語で。


哲生の子を宿し、幸福感に満ち足りているはずの妻奈央子。しかし僕には、妻は、病気の猫にしか見えなかった。
新古書店で、万引きを見逃してしまうような頼りのない店長をする僕は、若い店員にも軽んじられ、妻には「仕事を辞めないでね」といわれてしまう。 僕がこうなったのには、幾つかの理由がある。幾人かの女の存在がある。
清家先生は小学生の僕をかわいがり、一度は家に呼んでくれたのに、ふたたび訪ねていったら火がついたように怒った。
昌、小劇団で共に過ごし、他の男と結婚した女。璃子。大学時代に追い回していた女。璃子はあの時、千谷という友人を本当に殺してしまったのだろうか。つかみ所がなく、女を苛立たせながらも、女の切れることのない男・櫻田哲生の、不穏にして幸福な生涯。章ごとに、時代を変えて男の一生を描いた、長編小説。

あなたの獣 | 井上荒野井上荒野にしか書けない、私達の知らない「愛の話」――『あちらにいる鬼』 2019/04/05 大平一枝 ライター、エッセイスト
『あちらにいる鬼』朝日新聞出版 井上荒野/著

作家の父には同業の愛人がいて、父の没後は、愛人と母が心を通い合わせていた。

自分がその“子”の立場としても、誰もこれほど、美しい企みを施した成熟した小説には昇華できまい。たとえいくらかセンセーショナルに書けたとはしても、こうはいかない。

それほど、井上荒野の筆力は圧倒的に巧みだ。

不可思議な男女の三角関係に読者をいざない、気づいたら、愛とはなにか、夫婦とは何かを考えさせられている。

井上荒野の巧妙な文学のダンスに、気持ちよく踊らされ、最後の1ページを閉じたとき、あらためて父、井上光晴や愛人、瀬戸内寂聴について調べたくなる。彼らがあのとき、このとき、どんな小説を書いていたのかを知りたくなる。そんな作品なのである。

執筆時、瀬戸内寂聴から、「何でも喋るから書いてちょうだい」と言われた。書き終えると、真っ先に、すごくよかったと電話が来たというのは、すでに知られた話である。

なかなか信じがたい関係だが、本書を読むと、さもありなんとじつに自然に受け止められる。

本作を、母とみはる(瀬戸内寂聴がモデル)の視点で描こうとした時点で、井上荒野は書き手として、すでに大きな勝利をしている。読み終えたとき、いちばん知りたいと私が思ったのは、この母である。行間から、娘としての柔らかな慈愛が滲み出ている。亡くなってからでしか書けなかったことがよくわかる。

そしてなんにつけても、本作最大の魅力はやはり、井上荒野にしかできない独創的な愛情表現の味わい深さだ。

やさしい言葉の組み合わせなのに、ぐっと胸を掴まれ、ゆさぶられる1行が、そこかしこにしかけられている。

どんな物語も始まれば終わるしかなくて、血を吐くような恋をした女も、歴史を動かした男も、やがて死んでしまい、そうなればただの物語の一部になってしまう。(112頁)

言葉もわからず、英語すら覚束ないくせに、おそらくは、珍しい昆虫を捕獲したがる子供みたいな一途な、無責任な情熱で女の心を虜にして。(118頁)

そんなふうな思いやりを、自分でそれとも気づかずに何かがぽろりとこぼれるみたいに見せるのが白木という男だった。(130頁)

白木(井上光晴がモデル)を、みはるの視点から描いた一説である。私は読みながら、みはるといっしょに、まんまとこの自由奔放で恋愛なしに生きられない作家、白木に心を持っていかれてしまった。どうしようもなく、放っておけない男なのである。

そんな人たらしな男に裏切られ続け、愛され続けた母。これは、じつは父と生きた母という女性の物語だと私は思っている。あなたには、誰の物語に映るだろうか。ぜひ荒野文学に溺れながら、確かめていただきたい。

大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・失われつつあること、価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など。『東京の台所』(写真・文/朝日新聞デジタル「&w」)連載中。

HP「暮らしの柄」:http://kurashi-no-gara.com
ツイッター: @kazueoodaira
インスタグラム:@oodaira1027


小説と純愛で結ばれた三角関係 井上荒野さん「あちらにいる鬼」

父・井上光晴と母と瀬戸内寂聴さんモデルの物語
 父と寂聴さんの7年続いた不倫関係。4年前、編集者から小説にしてみないかという提案を受けたという。「私はスキャンダラスなことを書くタイプではないし、寂聴さんがご健在な間にそんな恐ろしいことはできない」。母の郁子(いくこ)さんが亡くなったばかりでもあり、その時は断った。
 その後、寂聴さんに会って気持ちが変わった。江國香織さんや角田光代さんらが一緒だったが、寂聴さんは父のことばかり話した。「本当に好きなんだなと、グッときた。私が書かなきゃと。いま書いて寂聴さんに読んでもらおうと思った」
 執筆にあたり、寂聴さんにも話を聞いた。「何でも話して下さった」。ただ父の葬儀で、性愛抜きの男女の関係だったと、弔辞を読んだことは有名だが、心境を聞いた時は「そんなのうそに決まっているじゃない」と一言だけ。「話せないこともあると思うし、意識に表れないこともある。基本的に、創作しようという立ち位置で聞きました」。エッセーなどで父のことを書いたことがあったが、本作はより想像力を働かせた。
不思議な感情 女性2人の視点で
 物語は、母を加えた3人の関係を寂聴さんと母の2人の女性の視点で描く。登場人物はいずれも名前を変えた。人気作家の長内(おさない)みはるが戦後を代表する作家白木篤郎と出会い、男女の関係が始まる。夫の小説の清書を手伝う篤郎の妻笙子(しょうこ)は、気づいている。

父と寂聴さんの誕生日は同じ5月15日。父は4歳の時に自分の母に捨てられたと言い、寂聴さんも幼い娘を残して家を飛び出した。運命を感じたのか。「符合する点はありますけど、なぜ愛し合えたのかは説明がつかないし、恋愛に理由はないと思う」
 作中、みはるが文芸誌に掲載される前の原稿を篤郎に添削してもらうことを、〈もう一種類の性交のようなもの〉と表現した。「父は他にも女の人がいましたけれど、男と女の関係以上に深かったのは、小説が介在していたからだと思います」
 100人いれば100通りあるほど複雑な愛の形。不倫を全肯定するわけではないが、単純化しすぎることには違和感がある。「私は父のおかげで、そういうお仕着せの考えからは自由(笑)。それは不倫に限らず、小説家としてすごく幸せなこと。父も母も寂聴さんも純愛だったと思う」
 父の名で出されたいくつかの短編は、母が書いていたことも本作で明かした。母が書き続けなかった理由を考えることは、自身が小説を書く意味を考えることにもなった。「自分とは無関係のことを書いても、自分が出てきてしまうことがある。それでダメージを受けることもある。母はそれを避けたかったのではないか、という気がしています」。自身に小説を書く資質があるとすれば、描写の仕方や言葉の選び方、世界のとらえ方などは、母譲りのものだとも思っている。
 母は「大いなる謎」だったという。浮気する父と仲が良く、寂聴さんには友情のような感情を持っていた。寂聴さんが出家する際、父に剃髪(ていはつ)式に行くことを勧め、死期が迫る中、寂聴さんの小説の感想を本人に宛てて書いた。
「寂聴さんのことが、本当に好きだったんだと思う。母が何か恨むとしたら、寂聴さんではなくて父。愛した者同士でシンパシーがあったのかな」
 女性2人の対比も特徴的だ。寂聴さんは出家して男女の関係を切ったが、母はどんなことがあっても、夫婦の関係を続けた。物語はこんな母の言葉で締められる。
 〈ただ篤郎のことだけを考えている〉(宮田裕介)=朝日新聞2019年2月20日掲載

作家・井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴…長い三角関係の心の綾 井上荒野さん「あちらにいる鬼」

男女の心の綾を、的確な筆使いで描写する直木賞作家、井上荒野さん。新作小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)でモデルに選んだのは、彼女にとってもっとも身近な人々。父である作家・井上光晴の妻、つまり著者の母親と、光晴と長年にわたり男女の仲だった作家・瀬戸内寂聴を彷彿させる二人の女性の視点から、彼らの長きにわたる関係と心模様の変化を深く掘り下げている。

井上荒野(いのうえ・あれの)
作家
1961年生まれ。89年、「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞。2008年、『切羽へ』で直木賞、16年、『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年、『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞。他に『夜をぶっとばせ』『キャベツ炒めに捧ぐ』など著書多数。

――これまでも小説のなかに、お父さんである作家の井上光晴さんや、彼と恋仲であった作家の瀬戸内寂聴さんを彷彿させる人物が登場していたことはありますが、ここまでご両親や寂聴さんの関係をモデルにしてはっきりと書かれたのは、今回の『あちらにいる鬼』がはじめてですよね。
 はい。4年ほど前、母が亡くなって1年くらいたった頃に、編集者からうちの父と母と寂聴さんの関係を書いてみませんか、と提案があって。その時は「無理無理」って言ったんですよ。「そんなスキャンダラスなこと書きたくない」って。それに、うちの両親はもう亡くなってますけれど、寂聴さんはいらっしゃるじゃないですか。そんな恐れ多いことはできない、と伝えました。それでも、なんとなく、自分ならどんな小説を書くかな、とは考えてはいました。
 寂聴さんとはもともと交流があったのですが、ちょうどその頃、調子があまりよくないと聞いたんです。その後またお元気になられたのですが、その時は「もう会えないかもしれない」と思い、それで、江國香織さんや角田光代さん、うちの夫や編集者と一緒に京都の寂庵を訪ねました。最初は寂庵でみんなで喋って、食事も一緒にして、最後は祇園のお茶屋さんまで行ったんですが、寂聴さんはその間ずっと、うちの父のことをお話しになるんですよ。私へのサービスもあったのでしょうけれど、ああ、父のことが本当に好きだったんだなって思いました。父との恋愛をなかったことにしたくないんだろうなって。そこにぐっときちゃったんですよね。それで、すごく書きたい気持ちになりました。書いて、寂聴さんに読んでもらいたいな、って。そこから本格的な準備に取り掛かっていきました。

寂聴さんは「もちろん書いていいわよ、なんでも喋るから!」
――もともと交流があったとのことですが、そもそも寂聴さんは井上さんのデビューのきっかけとなったフェミナ賞の選考委員だったんですね。
 同時受賞が江國香織さんと、もう一人いて。その後も、パーティでお会いしたり、雑誌で対談する機会が何度かありました。それに、作中にも書いていますが、寂聴さんが使わなくなったベッドを父がもらってきたりしていましたし。実は私がいま使っている仕事机も、寂聴さんからいただいたものなんです(笑)。
――そうなんですか(笑)。寂聴さんには事前に「書きます」とお伝えしたのですか。
 はい。改めて「書きたい」と話にいったら、「もちろん書いていいわよ、なんでも喋るから!」って(笑)。それで何回か京都に足を運んで、お話をきかせてもらいました。「この時はどうだったのか」とか「なぜ出家したのか」などと事前に質問を用意していたのですが、本当になんでも話してくださって。でも、きっと私に話さないこともあるし、話してくださったことが全部が本当のこととは限らないだろうから、基本的に創作しよう、という立ち位置で聞いていました。


―ほかに執筆に際して参考にしたものはあったのですか。
 寂聴さんの著作に、明らかに父のことを書いていると分かる私小説があるので、そういうものも読みました。あとは父と寂聴さんの年表を並べて「この時はどうだったのかな」と確認したりして。眺めながら「この2人が最初に男女の関係になったのはこのあたりかな」なんて考えいたりして、自分は何をやっているんだろうと思いました(笑)。
 でも年表を見比べるのって、謎解きみたいなところがありましたね。寂聴さんが出家したのって、父が調布に家を建てたのとほとんど同じくらいの時期なんです。なんだかんだ言っても父は家庭を続けていくんだなってことの象徴が調布の家で、そのあとに寂聴さんが出家した、というのは興味深いことですよね。そういうことを発見していくのは面白かったですね。
――両親のことを男と女として考えるのって、難しいところもあるように感じるのですが。
 それが意外となくて。彼らの性生活を書いているのに抵抗がない。それはやっぱり、これが小説だからですよね。ルポルタージュではなく、基本的には私の創作です。父であり母である人のことを書いているけれど、私にとっては彼らは小説の登場人物なんです。だから、この三人の事実を書いたわけではなくて、私にとっての、この三人の真実を書いたんだなって思います。
母がどういう気持ちでいたのかが大きな謎
――本作は、作家、白木篤郎の妻、笙子と、篤郎と恋仲になる作家の長内みはるという、二人の女性の視点で交互に語られていきます。最初から女性二人の視点で書こうと思ったのですか。
 最初は、自分の視点で書こうと思ったんです。子ども時代の自分に見えていた、寂聴さんの気配を含んだ父と母の風景と、現在見えている風景と。でも実際書いてみたら、それだとエッセイになってしまうんですよ。以前書いた『ひどい感じ 父・井上光晴』の続編みたいになってしまう。それに、その書き方だと、私のいない場面が書けず、想像の余地が狭くなってつまらない。
 私がこの小説を書きたいと思ったのは、寂聴さんは父が本当に好きだったんだなということに感動したからでもあるし、それともうひとつ、母がどういう気持ちでいたのかが自分にとって大きい謎であり、その謎を解きたいという気持ちがあったからなんですよね。それでふっと、「この二人の視点で書いたらどうか」と思いついたんです。その瞬間すぐに「なんてことを思いついてしまったんだ、自分にできるだろうか」と怖くなりましたが、それでしか書く意味はないだろうと思いました。今振り返ってみても、それは正しい選択だったと思います。
――強烈なエピソードが多くて、これが全部本当だったらすごいな、と思いました。
 もちろんアレンジしましたし創作もしましたが、たとえば篤郎がロシア人女性から下着をもらったという話や、みはるの家に来てそこから他の女性に電話をかけていた、といったエピソードは寂聴さんから聞いた話ですね。
 父が亡くなった後で蔵書を処分するために古本屋さんに2回来てもらったのですが、2回目の人が家じゅう歩き回って、私たちがゴミ扱いしていたものも持って帰ったんです。それで作ってくれた目録を観ていたら、「使用済みパンティ」というのがあったんですよ。たぶん、それがロシア人女性からもらったものなんだろうなと思って(笑)。

――すごい。裏どりができている(笑)。一方、お母さんがモデルとなる笙子さんのパートは、もう取材もできませんし、想像で書くしかなかったのでは。
 母のパートはほとんど私の想像です。当時は私もまだ幼かったのですが、一緒に住んでいた時期のことなので、あの時はこうだったのかななどと考えていきました。ただ、そういうことがある家庭のわりに、あまりそのことは考えていなかったです。それは母が、そんなことが全くないように振る舞っていたから。両親はすごく仲が良かったし、母も愚痴を言うこともなく、父が帰ってくると「お帰り」と言ってみんなでご飯を食べていました。
 ただ、小さい頃、父が出かけては泊まってくるので「どこに泊まっているの?」と訊いたことはありましたね。そうしたら「バーに泊まっているんだよ」って(笑)。大きくなってから、「バーって泊まれないよね」って分かるんですけれど。
書き続けた寂聴さんと書かなかった母
――作中では、井上さんがモデルである娘の海里さんが大きくなった後で、笙子さんが一回だけ、本気で怒りますよね。
 本当に1回、そういうことがあったんです。私はその時、ものすごく動揺して、母は自殺すると心配になったくらいです。そうでなくても離婚すると思った。それでも離婚しなかったのは、その翌年くらいに父の病気が分かった、ということもあるかもしれません。
――他に事実だとしたら驚きだなと思ったのは、笙子さんが実は小説を書いていた、ということです。
 昔、母が私に言ったんですよ。「私も書いていたのよ」って。実際、父の作品のなかに、これとこれは母が書いたものではないかなと思い当たるものがいくつかあるんです。たとえば『明日 一九四五年八月八日・長崎』という小説は、原爆の前日のいろんな人の話が書かれているんですが、最後の章が、生まれてくる赤ん坊に語りかけている母親の話なんです。読者には、この母子は明日死んでしまうと分かるという。それが、父には分からないような、女の感覚で書かれているなって思う内容なんです。
 他にも、初期の短篇には小さい子を持つ母親の視点で、日々の生活の描写とともに、そこに紛れ込むある種の不安が書かれているものがあって、こういうことは父には分からないだろうなと思うんです。今は講談社文芸文庫に収録されていますが、「眼の皮膚」「象のいないサーカス」「遊園地にて」の三篇は、私は母が書いたものだと思うんですよね。私よりも全然うまいんですよ。父の短篇のなかで、私が好きだなと思うものが母が書いたものなんです。
――みはるさんと笙子さんは、「小説を書き続けた人」と「書き続けなかった人」という対比もありますよね。
 そうなんです。母が父の名前で小説を書いたとすると、なんで自分の名前で書かなかったのかなって思いますよね。父が死んだときに母は63歳だったので、それからでも書けただろうと思います。それでも書かなかったのはなぜなんだろうって、すごく考えました。これは愛についての小説なんですけれども、私も書きながら小説を書くってどういうことなんだろうってすごく考えました。
 きっと、寂聴さんは、書いても書いても分からないからさらに書いていた。母は、書いて明らかになることを見たくなくて書かなかった。書いて自分の中にあるものを明らかにしたくなかったんじゃないかな、というのが私なりの考えです。
 私も小説を書いているから分かるんですけれど、書き進めていると突然、「あ、この女はこんな行動をするのか」「私はこんなことを考えていたのか」などと、自分でも思ってもみなかった言葉や行動が出てくることがあるんです。しかも、それですごく自分がダメージを受けることがある。母はそういうことを避けたかったんじゃないかなって気がしますね。まあ、あくまでも私の考えです。

出家した愛人と一緒の墓に入った妻
――ああ、今すごく腑に落ちました。そして愛についての小説としては、「関係を切った女性」「関係を切らなかった女性」という対称性があります。
 寂聴さんは途中で出家して父を切ったわけですが、母は父と別れなかったし「一緒のお墓に入れて」と頼んで死んでいったという事実がある。それはなんでだったのかなと考えることが、書くことに繋がっていったんじゃないかな。書いている間に、母の父に対する思いは愛が100%ではなかったと思うけれど、でも一番大きいのはやっぱり愛だったんじゃないかと思えました。それで、最後の「篤郎のことだけを考えている」という一行が決まったわけです。本当のことは分からないけれど、母は父のことだけを考えて死んでいったんだなと、書いていて思いました。
――みはるが出家を決意した心理も、書いていてしっくりきましたか。
 人はやっぱり生きていかなければいけないので、自分がこれからも自分であるため、自分で納得するように生きていくためには、出家という手段でバサッと関係を切ることが必要だったと考えました。母がずっと父の女性関係をないことのように暮らしていたのも、生きていくための方法だったと思う。どちらが正しいとか正しくないかは、私にも、誰にも言えないことですよね。
――みはるさんが出家した時期に、笙子さんは一度だけ、他の男の人と関係を持とうとしますよね。
 本当かどうかは分かりませんが、父が寂聴さんに、「うちの嫁さんは一回だけ他の男と寝たことがあるよ」って言ったことがあるらしいんです。実際にそういうことがあったとしても、いつ、相手が誰かも分からないので、その部分は私の創作です。ただ、みはるさんが出家するなら、自分もそれに見合うものをと思って、こういう行動をとったんだろうなと考えました。
――次第に、みはるさんと笙子さんの間に、友情というか、共感めいた感情が生まれていくんですよね。妻と愛人というと敵対するイメージがあるけれど、決してそうではない。
 一般的には夫に愛人ができたら、相手の女を憎むのが普通だと思われているけれど、普通なんてどこにもないんですよね。どういうふうに思い、どういう態度で処するかは、人の数だけ違うんだなと思います。
 もともと母は、父の他の女の人のことを私たちの前で悪く言ったことはないんです。きっと、怒るとしたら父に対してであって、寂聴さんに対してはむしろ、どうしようもない男を愛した者同士としてのシンパシーがあったのかなと思います。寂聴さんのことはむしろ好きだったんじゃないかな。
 作中にも晩年の笙子がみはるに小説の感想を書いた葉書を出しますが、それも本当のことです。私は寂聴さんにうかがうまで、そのことを知りませんでした。ちょうど一緒に暮らしていた時期なのに、私に言わず、寂聴さんが雑誌に書いた小説を読み、本当にその小説がいいと思って葉書を出したんでしょうね。もう自分の死期を知っていた時期ですから、お別れの挨拶をしようとしたんじゃないかな。もしも憎んでいたとしたら、そんな葉書は書きませんよね。
井上光晴はなぜモテた?
――それにしてもお父さん、もしくは作中の篤郎さんは、どうしてこんなにモテるのでしょう。
 いいなと思う女性がいると、全身全霊でサービスする。寂聴さんも言っていましたが、その女の人がいちばん言ってほしいことを分かってるんですよね。こう言えばこの人は喜ぶということ分かっていて「あんたいいね」と言うから、女の人はぐらっとくる。父親としては問題があったかもしれませんが、男としてはものすごく魅力的だったと思います。
 母に対しては、他に何人の女の人がいたとしても「あんたが一番」って言っていたんですよね。同じことを他の女の人にも言っていた可能性はあるかもしれませんが(笑)。
 恋愛に関しては、理由なんてないですよね。寂聴さんも「雷に落ちたものだ」と言っていましたし。ただ、話をうかがっていた最後のほうで「歴代の恋人の中で父はどれくらいの位置にいますか」と訊いたら「みんなつまんない男だったわ」って(笑)。格好いいですよね。
――女性2人の孤独は感じますが、篤郎さんの中に孤独はあったのでしょうか。
 あったと思います。父も根源的な孤独を抱えていました。それを女の人で埋めていたところがあったんでしょうね。
――タイトルにはどういう意味がこめられているのでしょうか。
 タイトルのために、普段から気になる言葉をメモするようにしているんですが、そのメモに「愛の鬼」という言葉があったんですよね。後から見て「愛」という言葉は使いたくないなと思いましたが、「鬼」というのは面白いなって。寂聴さんから見たら母のことかもしれないし、母からみたら寂聴さんのことかもしれない。父が鬼ごっごの鬼であるというイメージも浮かびました。「今、鬼はあっちの人のところにいる」みたいな、ね。
――本作を書いてみて、改めて思うことはありましたか。
 自分や家族のことを振り返ったというよりは、自分にとって小説を書くとはどういうことなのかを考えました。やっぱり小説を書くって、自分の一番見たくないところがどうしても露わになってしまう、すごく怖いことなんだと思いました。それでも書くんだよ、とも思ったし、だからこそ書くんだな、とも思いましたね。
 書いてよかったなと思います。やっぱり、母の父への思いをこういう形で文章にできてよかったです。書いている間はクタクタで寿命が縮まった気がしましたが、それだけ本当に、自分が書ける精一杯のことをやりました

――単行本の帯には、寂聴さんが推薦文を寄せられていますよね。この文言がすごい。「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」「モデルに書かれた私が読み傑作だと、感動した名作!!」「作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう」。大絶賛です。連載中から読んでくださったいたのでしょうか。
 連載の第一回が『トリッパー』に掲載された時にお電話をくださって「すごくよかった」「どんどん書いてちょうだい」って励ましてくださいました。連載途中は気になるから読まなかったそうですが、帯文をお願いした後、ある日帰宅したら家の留守電に「すっごくよかった、すっごくよかった、傑作!!!」って(笑)。
――ご両親がこれを読んでいたら、どう思われたでしょうね。
 意外と母と二人でニヤニヤしていると思います。「こいつは何も分かってないな」って二人で言っていると思うんですけれど(笑)。でも、なにか、喜んでいるような感じはしますね。
――井上さんは高校生の頃からお父さんの手書き原稿の清書をしていたそうですし、やはり作家として影響は受けていると思いますか。
 そうそう、清書もしていたので、最初のうちは父の文体がしみついちゃっていましたね。でも、これを書いたり、母が書いたと思われる小説を読むと、やっぱり私の小説家の資質は、母から受け継いでいるという感じが、すごくします。
――ちょうど、作家生活30周年でもありますよね。振り返ってみて、ご自身の変化は感じますか。
 自分でもびっくりしますね(笑)。興味の対象も変わったし、書くものもだんだん変わってきたなと思う。 今までずっと人間のこと、男と女のことを書いてきたんですけれど、漠然とですが、もうちょっと今の時代とか、社会で起きていること、社会の空気みたいなことを書いてみたいと思いますね。もしも自分が書くのならどんな感じになるのかなということはちょっと考えています。

瀧井朝世(たきいあさよ)
ライター
1970年生まれ。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』など。岩崎書店〈恋の絵本〉シリーズ監修。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーではブレーンをつとめる。横浜みなとみらいのBUKATSUDO「贅沢な読書会」モデレーター。

斉藤順子(さいとうじゅんこ)
フォトグラファー
1988年東京生まれ、神奈川育ち。5年間のOL生活ののち、フォトグラファーへ転身。特技は手のひらで小さなゴミを集めること。ダルクモデルズアンドファクトリー所属。
posted by りょうまま at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上荒野 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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