2018年08月27日

中島京子「樽とタタン」「ゴースト」「かたづの」「長いお別れ」「小さいおうち」

「WEB本の雑誌」第79回:中島京子さん|著者インタビュー
「本の泉」第115回:直木賞作家・中島京子登場!|著者インタビュー
「ブックショート」中島京子さんインタビュー


2018.8.27(月)・・久しぶりに・・とっても好きだなあ( ^^) _U~~

89.樽とタタン 2018.2 新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/book/351351/
小学校の帰りに毎日行っていた赤い樽のある喫茶店。わたしはそこでお客の老小説家から「タタン」と名付けられた。「それはほんとう? それとも嘘?」常連客の大人たちとの、おかしくてあたたかな会話によってタタンが学んだのは……。心にじんわりと染みる読み心地。甘酸っぱくほろ苦いお菓子のように幸せの詰まった物語
「はくい・なを」さんの一日
ずっと前からここにいる
もう一度、愛してくれませんか
ぱっと消えてぴっと入る
町内会の草野球チーム
バヤイの孤独
サンタ・クロースとしもやけ
カニと怪獣と青い目のボール
さもなきゃ死ぬかどっちか

思いがけない記憶が蘇る
戌井昭人
 昔から営業していて、コーヒーやタバコのニオイが壁や天井に染み込んでいる喫茶店が好きだ。地方に行ったりすると、時間が少しでもあれば、そのような店に立ち寄ってしまう。コーヒーは美味しくても不味くても構わない。美味しいに越したことはないけれど、煮詰めて酸っぱくなったコーヒーを不機嫌な爺さんが出してくるようなところでも良い。
 この前、北九州の小倉で入った喫茶店は、ダミ声の婆さんが煙草を吸いながら、大きな声で人の悪口を言いまくっているのが店内に響いていたが、それはそれで楽しかった。
 いまは少なくなってしまったけれど、都心でも昔は、どんな駅前にも必ず喫茶店があった。人と待ち合わせしているとき、早く着いてしまったら、喫茶店に入って、コーヒーを飲みながら時間を潰すことができた。店には大概、常連客がいて、マスターと話していたり、客同士で話しているのが耳に入ってきて、それを聞いていると、なんとなく町の様相がわかったりするのだった。『樽とタタン』は、そのような喫茶店に入って、盗み聞きをしているような楽しさがある。
 本書の主人公、女の子のタタンは、3歳から12歳まで、ある小さな町に住んでいて、小学校のころから喫茶店に通っていた。このように書くとなんだか不良少女のようだが、タタンの両親は共働きだったので、保育所代わりに預けられていた。しかしマスターはものすごく面倒見がいいわけではない。無口で、タタンを放っておいている感じだが、彼女もそれが心地よく、勝手にやっているのだった。タタンのお気に入りの場所は、コーヒー豆が入っていた大きな樽の中だ。その樽は、店の装飾になっていて、赤いペンキが塗られ、真ん丸に穴がくり抜かれている。タタンは、この中で、うつらうつらしたり、いろいろ妄想したりと、まるで猫のように過ごしている。
 あるとき、樽の中にいたタタンに、白いひげのおじいさんが話しかける。おじいさんは小説家で、この店の常連客だ。タタンというあだ名をつけたのもこの人だ。彼は性格にムラがあるが、タタンと絶妙な距離感で付きあい、仲良しになる。他にも、声の甲高い神主とか女癖の悪い歌舞伎役者の卵、大学の相撲部の連中、黙々とコーヒーを飲む学者などがいる。一方で、常連は少しずつ入れ替わり、タタンは、そのような移ろいを12歳までのぞいてきた。そして大人になって思い返すと、常連客よりも、ちょっと気のおかしくなってしまった女性や、癖のある学生さんなど、ある日突然やって来た人の方が、強い印象を残していたりする。
 ひとつひとつのエピソードは、読者を、タタンのいる喫茶店の片隅でコーヒーを飲んでいるような気分にさせてくれる。コーヒーの味は、しつこくなく、淡々としていて、ユニークだ。本を閉じると、自分の過去のことや、これからのことが頭に浮かんでくるだろう。
 本書を読んでいたら、わたしもタタンと同じように喫茶店に預けられていたことを思い出した。そこは祖父の営んでいた八百屋の2階の喫茶店で、ノジマさんという若ハゲのマスターがいた。わたしは母が買い物に行っている間など、よく預けられていた。そしてホットサンドを食べカルピスを飲み、大人の会話を聞いていた。さらに本書の中にも出てくる、インベーダーゲームが喫茶店に置かれたときは、皆んな興奮していたのを覚えている。結局、ゲームが一番上手くなったのは、マスターのノジマさんだった。彼は、仕事そっちのけで、インベーダーゲームにのめり込んでいたのだ。
 タタンとおばあちゃんの交流を描いた、「ぱっと消えてぴっと入る」という篇で、「死んだ者は、ぱっと消えて、生きてるものの中に、ぴっと入ってくる」とおばあちゃんは言う。ノジマさんのことも、わたしの中にぴっと入っていて、本書を読んでいたら、蘇ってきたようだ。
 またタタンのいた喫茶店に来ていた人々は、「独特のひとりぼっち感を漂わせていた」とあるのだが、自分が古い喫茶店を探してしまうのは、そのような気分を味わうためなのかもしれない。
(いぬい・あきと 作家)
波 2018年3月号より
単行本刊行時掲載

http://www.shinchosha.co.jp/book/351351/






2017.10.18(水)
152.ゴースト(2017.3)・・・しみじみと泣けた。・・
第5話「キャンプ」・・小さい男の子2人、無事生き延びていますように。。

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温かい気持ちになったあとに、思わず涙があふれてしまう。
――風格のある原宿の洋館はGHQの接収住宅でもあった。
そこに小さな女の子はなぜ出没するのか?
戦時中、「踏めよ 殖やせよ」と大活躍し
焼夷弾をあびながらも生き延びたミシンの数奇な運命とは?
少しぼけた仙太郎おじいちゃんが繰り返す、
「リョーユー」という言葉の真意は孫娘に届くのか?
おさるのジョージの作者たちは難民キャンプで何をしていたのか?
やわらかいユーモアと時代の底をよみとるセンスで、
7つの幽霊を現代に蘇生させる連作集。

【目次】
第一話 原宿の家
第二話 ミシンの履歴
第三話 きららの紙飛行機
第四話 亡霊たち
第五話 キャンプ
第六話 廃墟
第七話 ゴーストライター
内容(「BOOK」データベースより)
目をこらすと今も見える鬱蒼とした原宿の館に出没する女の子、二〇世紀を生き抜いたミシン、おじいちゃんの繰り返す謎の言葉、廃墟と化した台湾人留学生寮。温かいユーモアに包まれ、思わず涙があふれる7つの幽霊連作集。



2016.6.29(水)・・久しぶりの中島さん面白いかな??
63「かたづの」2014.8集英社

はじまり・・・p5・・光がとつぜん差し込んできた。
まぶしくてどうにかなりそうだった。
急にいろんなものが見えだし、ひんやりしたあたりの空気が体に入り込む。
そうして私は目を覚ましたが、前に同じように覚醒したのがいつだったかを、すぐには思い出せなかった。

中央の貴婦人は女領主。女官のわきに控える一角の獣が私だった・・まだ角が柔らかく額から突き出たばかりのころに出会い、雪深い山をともに越えた生涯の友のことを思い出した。
私たちはブナの木の生い茂る山の中で出会った。誰かが私を見つけてアオシンだ、アオシンだと言ったのが聞こえた。13才の女の子が「討つな、私は蛍を見に来ただけなのだ」と傍らの男に言って私に「逃げろ」と言ってくれた・・私はトコトコ歩きだしたが頭の中は少女のことでいっぱいになってしまった。まっすぐに私を見つめたあの目に心臓を射抜かれたとしかいいようがない。・・p5〜p14抜粋

偶蹄目ぐうていもく・・哺乳類の一種



2015.11.6

長いお別れ(2015.5)

帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。
妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をする――。

東家の大黒柱、東昇平はかつて区立中学の校長や公立図書館の館長をつとめたが、十年ほど前から認知症を患っている。長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし、娘が三人。孫もいる。

“少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く”といわれる認知症。ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう、迷子になって遊園地へまよいこむ、入れ歯の頻繁な紛失と出現、記憶の混濁--日々起きる不測の事態に右往左往するひとつの家族の姿を通じて、終末のひとつの幸福が描き出される。著者独特のやわらかなユーモアが光る傑作連作集。 長いお別れ | 中島 京子 | 本 | Amazon.co.jp



【著者に訊け】中島京子氏 介護体験描く小説『長いお別れ』│NEWSポストセブン


デビュー作『FUTON』、直木賞受賞作『小さいおうち』等、中島京子作品には新旧、幾つもの「時間」が、大切に閉じ込められている。最新作『長いお別れ2 件』は、英訳でロング・グッドバイ。〈少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く〉認知症を、アメリカではこう表現するらしい。

「そう。チャンドラーだけじゃないんですよね。私も一昨年、認知症の実父と10年目に死別したので、なるほど、その通りだなあって」

 父〈昇平〉がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。老夫婦と3人の娘とその家族の日常を、計8編の連作に切り取る。冒頭「全地球測位システム」は、東京郊外の東家に姉妹が久々に揃った父の誕生会でのこと。

 そこでお金の話が出るかもしれないからと、母〈曜子〉は3人を呼びつけ、次女〈菜奈〉は8歳の〈将太〉を連れて、フードコーディネーターで独身の三女〈芙美〉は料理持参で、長女〈茉莉〉は夫の赴任先の米西海岸からわざわざ駆けつけた。が、父は特に大事な話もせず、手土産のタルトやチョコの包み紙を古い〈泉屋のクッキーの缶〉に仕舞いながらこう呟くのだ。〈こういう良いものはね、みんな取っておく〉と―。

 失われゆく記憶と、それらを形に留める幾多のモノたち。彼や彼女らにとって、本当に良いものとはなに?

「物を溜めこむのは認知症の典型的症状らしいですね。一昨年亡くなった私の父も煙草の空箱とか喫茶店のお砂糖なんかをやたら集めていて、私たちが捨てようとすると『こんなに大事なものを』って怒るんです。

 父の思いの真相はわかりませんが、父が記憶や言葉を失っていく過程では結構笑っちゃう話も多くて(笑い)。私たち家族にとってはそれも日常ですから、そういう面白い出来事もたくさんある長いお別れを、できれば明るく書いてみたかった」

 昇平は元中学の国語教師。校長職や図書館長を歴任し、週1回通うデイサービスの漢字テストがお気に入りの彼は、孫の前で〈蟋蟀(こおろぎ)〉等難しい漢字を書いて見せ、〈永久名人〉と呼ばれたりした。

 が、その少年がカリフォルニアの海洋研究所に出向中の〈今村〉と茉莉の息子〈潤〉や〈崇〉であることや、茉莉が長女であることも、昇平には覚束ない。誕生日に3人が贈ったGPS付携帯電話も、句会から帰れなくなった父の所在を〈赤い点〉が示しはしても、彼が後楽園で出会った幼い姉妹と仲良くメリーゴーランドに乗っていたことまでは、教えてくれないのだ。

「この遊園地の話はもちろん創作ですけど、GPSは父も持っていました。結局、全地球規模で測位されても全然有難くないんですよね。あっ、お父さん新宿にいる、今度は電車に乗ったって、画面の赤い点を電話越しに娘たちが見守る図ってよく考えると滑稽ですし、最新機器と今そこにある危機の、ズレ加減が半端ない(笑い)。

 昇平のように通い慣れた場所から帰れなくなる人は多いらしく、家にいても、生まれ故郷に連れて行っても、『うちに帰る』と言って出て行っちゃうんですね。それがどんな本能かはわかりません。ただお姑さんを介護されていた母の友達が『私にもこういう面白いことがあった、あった』と笑ってくれて、そんな風に読んでいただけるなら私も書いた甲斐があります」

 10年といっても家族には様々な局面がある。アメリカの今村家を曜子と訪れた昇平が、ホームパーティで今村の元恋人〈ミチコ〉となぜか昔話で盛り上がって婿を慌てさせたり、30代半ばで同棲を解消した芙美に新たな出会いがあったり…。潤の童貞喪失や45を過ぎた菜奈の妊娠。3.11の直後、国際電話だけはよく繋がり、父の〈そりゃなあ、ゆーっとするんだな〉という意味不明な言葉が芙美を慰める「つながらないものたち」など、言葉や記憶の喪失を超えた家族の関係性がいい。

「10年経てば孫は成長し、芙美も新しい恋くらいする。昇平の病気の進行を時系列で追いつつ、それだけではない話にしたかったんです。

 父もお茶のことをドアと言ったり、早い段階で単語の混乱が起き、もっと進むと言葉ともつかない言葉を話し始めた。ただ私たちを慰めてくれているのはわかるし、『ガーン、父が自分を忘れてしまった』とは思わなかったんですね。『もうお父さん、また忘れちゃって〜』みたいな感じで母や姉も接していたし、最期までプライドだけは高かった父自身、看護師さんに赤ちゃん扱いされたり、家族からのけ者にされるのをとても嫌がってました」
むしろ本書を読むと言葉と思いがすれ違わないことの方が奇跡に思えてくる。例えば4話「フレンズ」で大学以来の親友〈中村先生〉の通夜に参列した時のこと。菜奈にはとても中村の死を理解しているとは思えない父の言動を、旧友らは自在な解釈や推理で捻じ曲げ、友を悼む会話が見事に成立してしまうから可笑しい。

「父も相槌が妙に巧いというか、聞き上手だったんです。笑っちゃうのは昔からお喋りなお友達がいらした時に、その人が一方的に喋って父は聞き役に回り、なんだ、昔と全然変わらないよって言って帰って行った(笑い)。

 でも私たちだって他人の話を聞きたいように解釈し、自分勝手な文脈を発明しながら会話してますもんね。認知症の家族を持つことは確かに大変で切ないけれど、人間の無意識を逆照射される部分もあって、私には興味深かったかも」

 曜子は思う。〈言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も〉〈夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。不愉快なことがあれば、目で訴えてくる。何が変わってしまったというのだろう〉

 妻や娘、家族という言葉は忘れてしまっても彼らは家族であり続け、その繋がりは昨今殊更に強調される〈絆〉とは明らかに異なる。

「アハハ。もちろん震災婚でも何でも、うまく行けばいいんですよ。ただこれみよがしに謳う絆が本当に人と人を繋ぐとは思えないし、言葉はなくても思いが通うことはある。どんなに妄想や過去への回帰が進んでも、最も近くにいる母への親近感や現実感が失われることはなかったし、父は最期まで父だったという確信が、家族にはあるんです」

 愛する人や時間との別れを、東家の人々は徒(いたずら)に嘆くことなくあるがまま慈しむ。そして中島氏もまた解釈よりは出来事を、正解よりは他の誰でもないお父さんの〈QOL〉を巡って彼女たちが費やした時間や生活を丹念に、そして淡々と描くのだ。

【著者プロフィール】中島京子(なかじま・きょうこ):1964年3月東京生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務を経て渡米し、シアトルで教育実習。帰国後ライターとなり『だいじなことはみんなアメリカの小学校に教わった』(文庫『ココ・マッカリーナの机』)を上梓。2003年『FUTON』で小説デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞(後に映画化)。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞。他に『イトウの恋』『平成大家族』等。156cm、A型。

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2015年7月3日号




2013年いちばんのお気に入り・・

2013.6.27(木)中島京子「小さいおうち」・・・朝から夢中になって、でもじっくりと1日かけて読んだ。久々に楽しい「読書の時間」だった・・☀

第2次世界大戦中、東京の中流家庭に勤めた山形県出身の一人の女中・タキさんの回想録

昭和初期東京、戦争の影濃くなる中での家庭の風景や人々の心情。ある女中回想録に秘めた思いと意外な結末が胸を衝く、直木賞受賞作

平成22年、第143回直木賞受賞
この作品に遍満する時代の空気は、丹念な取材と精密な考証がなければ表現不可能で、それをかくもみごとになしえたのは、やはり才能というより「(引用者注:書くことが)好きだから」という資質に拠ると思われる。次はどんな小説を書くのだろう、という読者の正当な期待に応えられる作家はあんがい少ないものだが、氏はそのうちのひとりにちがいないと信じて強く推した。」直木賞-選評の概要-第143回

★★★

『小さいおうち』(文藝春秋)

 中島京子最新作にして新たな代表作。本書を受賞作にして直木賞の価値は上がったと私は勝手に思ったほどである。昭和10年代に、あるモダンな屋敷につとめた女中の回想録の形をとっているが、当時の風俗や生活ぶりを再現する能力には驚嘆した。文章は端正きわまり、何もこれといった事件が起きなくても全然納得……と思っていたら、実はすごい秘密が隠されていて、中島さんの読者を喜ばせようとする鬼のような執念には唸るばかりだ。

楽天ブックス|著者インタビュー - 中島京子さん『小さいおうち』 

第143回・直木賞を受賞した、中島京子さん『小さいおうち』。戦時中の女中「タキさん」が、若かりし頃に働いていた東京郊外の家。時代が過ぎ去った後、そこでの記憶や思い出を綴った回想録を元に、そこで息づいていたさまざまな人間模様や、ひそやかに残された謎が静かに浮かびあがります。平成の我々が知るはずもない、戦時中を生きた人々の息遣いが聞こえてくるような素朴な語り口。不思議な温かさが読後に残る注目作です。


『小さいおうち』
第143回・直木賞受賞作。老婆の素朴な回想ノートが、意外な形で現代へつながります!
1,660円(税込)

『Futon』
田山花袋の「蒲団」をベースにした中島京子さんデビュー作。第25回野間文芸新人賞候補作品。
680円(税込)

『乙女の密告』
第143回・芥川賞受賞作。アンネの日記をベースに女子学生の間で巻き起こる謎を描く
1,260円(税込)

候補作と受賞作を一気に紹介中!読み応え抜群の8冊です!

中島京子さん (なかじま・きょうこ)
1964年、東京都生まれ。東京女子大文理学部史学科卒。出版社にて女性誌編集に長く携わった後退社し、1996年にインターンシップ・プログラムスで渡米。帰国後フリーライターに。2003年、『FUTON』で小説家デビュー。同作で野間文芸新人賞候補。2006年『イトウの恋』、2007年『均ちゃんの失踪』、2008年『冠・婚・葬・祭』がそれぞれ吉川英治文学新人賞候補に。2010年、『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。在米中、日本語がうまく発音できない小学生から「キョウコ・ナカジマ」が転じた「ココ・マッカリーナ」の愛称で親しまれ、その経験を綴った『ココ・マッカリーナの机』や「雑貨カタログ」で、絵本紹介の連載コラムをまとめた『ココ・マッカリーナのしみこむ絵本』など、小説以外の著書もファンが多い。
インタビュー
−−第143回・直木賞受賞、おめでとうございます!戦時中、東京郊外のサラリーマン家庭に女中としてお勤めしていた主人公「タキさん」が、おばあさんになってから、当時の出来事や思い出をつれづれにまとめた回想録から始まる『小さいおうち』ですが、本当に面白くて途中で止められず、最後まで一気に読んでしまいました。とにかく主人公の女中さん「タキさん」がとっても可愛らしいですね。
中島さんありがとうございます。とてもうれしいです(笑)。
−−選考委員の講評でも「戦前の資料をなめらかに使い、素晴らしい」という声が上がっていましたが、あちこちに戦時中を生きた庶民の生活が実によく分かるエピソードがちりばめられていて、本当にリアルに感じました。多くの資料を見聞されたとのことですが、どんな資料を主に探されたのでしょう?
中島さん構想を練り始めてから執筆にかかるまでに約2年ありましたので、その間に神田の古本屋や国会図書館、ネット書店などで、その時代のものを探したりしました。女中さんが出てくる話、という構想は割と早くから決まっていたため、有力な情報源となったのはやっぱり当時の婦人誌ですが、当時のレストランガイドや旅行案内なども読みました。また、タキさんは山形出身なので、山形から東京へはどうやって出てくるんだろう、とか細かいところも知りたくなって、当時の奥羽本線の時刻表を見てみたり。作品中でお勤めしているお宅の坊ちゃんが受験をするため、すごく昔の蛍雪時代などを読んだりもしました。昭和19年の春からタキさんは山形に帰ってしまうので、当時の山形新聞も。とにかく登場人物が本当に読んでいただろう資料を使って書きたい、と思ったので。

−−それで話がとてもリアルなんですね。台風が来たシーンで、あまりにひどい台風で多摩川に熊が浮いたとか、奥様が、戦時中だからといって一生に一度の結婚式がてんぷらを食べてすませるだけの“てんぷら会”になるなんて許せない、と憤慨していたり、大きな歴史や年表には残らないけれど、当時の生活を彷彿とさせるリアルな描写がさりげなく混じっていてとても面白かったです。
中島さん「多摩川に熊が浮いた」という記事は私も新聞で見つけたとき、とてもうれしくなって(笑)。本筋には必要ないエピソードですが、当時は多摩川あたりにも熊が出たんだとか、台風がどれだけすごかったか、とか、小さなことですけど、どうしても入れたくなってしまいました。
−−見つけたけれど入れなかったものもたくさんあるのでは?
中島さんはい。残念ながら削ったものもたくさんあります。例えば、力士の双葉山の連勝が続いている、という話が出てくる際も、調べていると双葉山は十二指腸潰瘍や蓄膿症の手術をしているのですが、手術をするたびなぜか強くなるという傾向があったらしく(笑)。最初はそのエピソードも入っていて、単行本のゲラ段階で編集者に「双葉山の話はこんなになくてもいいのでは…」とすごく冷静に言われて我に返って削りました。また、いよいよ戦争が始まったときも、男性のネクタイの柄が戦闘機や日の丸、日章旗の柄が流行ったなどのエピソードも、すごく面白かったんですが削ったネタのひとつです。歴史の年表のような大枠だけが後に残り、後世に伝えるほどのことじゃない小さなことは押し流されてしまう。でも、小さいところにむしろ、時局の雰囲気がよく表れていると思います。物語には出てこない、こうした市井の人々のエピソードに多く触れたことで、戦時中とはいえ、私たちとは一線を画した人々が眉間にシワを寄せてストイックに生きていた、というわけではなく、今と同じように笑ったり喜んだりして生きていたことが実感できて、知ってよかったなと思います。
−−主人公のタキさんは「女中さん」という、今は見ない職業の女性です。当時の女中さんというと、どんな立ち位置だったのでしょう?タキさん、という女中像はどこからかヒントやモデルが?
中島さんそれが難しくて…。私もいわゆる女中さんの平均像をつかもうとして、女中さんが出てくる小説、新聞、雑誌などを読み漁ったんですが、どれも百人百様で「コレだ!」という典型は見つからなかったんです。『小さいおうち』の前に『女中譚』という、永井荷風・林芙美子・吉屋信子などの作家が書いた、女中が出てくる小説をベースにした連作集を書いたのですが、作家たちが書いた女中がそれぞれまったく違うタイプで。林芙美子の書いた女中は、男に騙されて捨てられて…、という疲れ果てた女中。吉屋信子の書いた女中は、ハイカラ家庭の少女趣味っぽい女中。永井荷風の書いた女中は、洋服を着て、夜になると踊り子になるためのレッスンを受けに出かけちゃうような女中で、よけい分からなくなってしまいました(笑)。さらに資料を探すうち、昭和40年代の女性誌に、作家の小島信夫の、女中に関する寄稿文を見つけたのですが、これがまた面白くて。女中とは、家族の一員であり、界隈の人気者であり、その人物がいるだけで場が明るくなる、家庭になくてはならない存在。中には姪を田舎から呼び寄せ、自分の後継者を仕込み、女中としての役割や存在意義を脈々と受け継ぐこともあり、もはや文化の一つである。そのすばらしい女中という文化が昭和に入って失われていくことはとても残念である、と、女中とはどんなにすばらしい存在かをめんめんと綴った文章なんですが、後で思うと、タキさんの人物造型は、この小島信夫の女中論が原型になっているように思いますね。
−−ところで、受賞の報告はどこで、どんなふうに受けられたのですか?
中島さん一人で自宅で待っていました。その日は結局何をやっても落ち着かなくて、午前中は部屋を片付けていたりしたんですが、それもすぐに終わってしまい、何もすることがなくなって。ライターの豊崎由美さんのツイッターで「芥川賞妄想選考会」をやっていたので、それが面白くて、ずっとそれを見ていました(笑)。落選したときには編集さんが電話をくれる約束になっていて、そうなると090で始まる携帯の番号がナンバーディスプレイに表示されるはずで、その心積もりもしていたんです。ところが、19時15分くらいにかかってきた電話が03で始まる番号。選考は20時くらいまでかかる、と聞いていたので、「ひょっとして?でもそれにしては早い。間の悪い友達からかも?」と恐る恐る電話を取ったんです。そうしたら「おめでとうございます」と。
−−やはり感激されたのでしょうか?
中島さんいえ、意外に冷静でした(笑)。実はその朝から、「おめでとうございます」「ありがとうございます」という受賞したときのパターンと、「残念ながら…」「いえいえ。ノミネートされただけでも光栄です」という、ダメだったときのパターンを想定し、脳内でいくつもシミュレーションをしていたため、受賞の電話を切った後に「もしかしてこれも私の脳内妄想のひとつかも?」と猛然と不安になってしまったんです(笑)。その後、編集さんと電話が通じて、やっと受賞が本当のことだと実感できました。自分の想像に振り回されて疲れきってしまい、受賞を聞いたときのフレッシュな感動はなかったですね。なんだか変な一日でした(笑)。
−−今後のご予定についてお聞かせください!
中島さん今年中に講談社から書下ろしが出る予定です。内容はまだ秘密です。また、過去の作品が数点、文庫化される予定です。
−−今後もご活躍をお祈りしております!本日はありがとうございました。

中島 京子(なかじま きょうこ、1964年 - )は、日本の小説家。東京都出身。

父はフランス文学者で中央大学名誉教授の中島昭和。母はフランス文学者で明治大学名誉教授の中島公子。姉はエッセイストの中島さおり。

東京女子大学文理学部史学科卒業。日本語学校、出版社勤務を経て、1996年にインターンシップ・プログラムスで渡米。1997年に帰国、フリーライターとなる。2003年、『FUTON』で小説家デビュー。同作で第25回野間文芸新人賞候補。2006年、『イトウの恋』で第27回吉川英治文学新人賞候補。2007年、『均ちゃんの失踪』で第28回吉川英治文学新人賞候補。2008年、『冠・婚・葬・祭』で第29回吉川英治文学新人賞候補。2010年、『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。

単行本
FUTON(2003年5月、講談社 / 2007年、講談社文庫)
イトウの恋(2005年3月、講談社 / 2008年、講談社文庫)
さようなら、コタツ(2005年5月、マガジンハウス / 2007年、集英社文庫)
(ハッピー・アニバーサリー、さようなら、コタツ、インタビュー、陶器の靴の片割れ、ダイエットクイーン、八十畳、私は彼らのやさしい声を聞く)
ツアー1989(2006年5月、集英社)
迷子つきツアー(『すばる』2005年1月号)
リフレッシュ休暇(『すばる』2005年9月号)
テディ・リーを探して(『すばる』2005年6月号)
吉田超人(『すばる』2006年2月号)
均ちゃんの失踪(2006年11月、講談社)
均ちゃんの失踪(『小説現代』2005年2月号)
のれそれ(『小説現代』2005年7月号)
彼と終わりにするならば(『小説現代』2005年10月号)
お祭りまで(『小説現代』2006年2月号)
出発ロビー(『小説現代』2006年6月号)
桐畑家の縁談(2007年3月、マガジンハウス/2010年、集英社文庫)
冠・婚・葬・祭(2007年9月、筑摩書房)
(空に、ディアボロを高く、この方と、この方、葬式ドライブ、最後のお盆)
平成大家族(2008年2月、集英社)(トロッポ・タルディ、酢こんぶプラン、公立中サバイバル、アンファン・テリブル、時をかける老婆、ネガティブ・インディケータ、冬眠明け、葡萄を狩りに、カラスとサギ、不存在の証明、吾輩は猫ではない)
ハブテトルハブテトラン(2008年12月、ポプラ社)
エ/ン/ジ/ン(2009年2月、角川書店)女中譚(2009年8月、朝日新聞出版 / 2013年3月、朝日文庫 ISBN 9784022646989)
小さいおうち(2010年5月、文藝春秋 / 2012年10月、文春文庫 ISBN 9784167849016) 
エルニーニョ(2010年12月、講談社)
花桃実桃 (2011年2月、中央公論新社) 
東京観光(2011年8月、集英社) 
眺望絶佳(2012年1月、角川書店) 
のろのろ歩け(2012年9月、文藝春秋)

中島京子 (作家) - Wikipedia

第79回:中島京子さん
田山花袋の『蒲団』を題材にした『FUTON』でデビュー、その確かな観察眼と描写力、そしてユーモアのエッセンスで、毎回読み手を虜にしてしまう中島京子さん。言葉遊びの楽しさに気づいた本、暗唱できるほどお気に入りのフレーズ、そして読みふけった海外文学の数々…。小説家デビューするまでの道のりも交えて、その渋くて奥深い読書遍歴を語ってくださいました。

(2008年5月30日更新)

【お姉さんと出版社ごっこ】
――中島さんの幼い頃の読書の思い出というと。
: すべて掘りおこすと、すごいことになってしまうんですが…。最初の本はすごく覚えていて、それは、まどみちお先生がお書きになった小学館の『あいうえおえほん』。これがすごく優秀な絵本だったんです。出だしが「ありありありがあるいていく いぬいぬいぬもあるいていく」で、「なすときゅうりがなかよくおふろ なすはあらわないからまっくろよ」といったような内容で…。

――覚えているんですか。

中島 : それほど強烈だったんです。小学校就学前の5歳か6歳くらいのときで、風邪をひいて寝込んでいたら、姉とその友達が変わりばんこに読んでくれたんです。その日のうちに詩を覚えました。その後、他の「あいうえお」の絵本も見ましたが、やっぱり、まどみちおさんの本が面白い。言葉遊びの面白さを、ものすごく早い段階で体験したというのは、自分にとって財産だな、と思っています。

――中島さんは生まれは東京ですか。

中島 : 生まれは杉並で、3歳か4歳のときに埼玉の和光に移って団地で育ち、高校のときに八王子に引越しして、その後中野で一人暮らしを始めて…。この絵本を読み聞かせてもらったのは、和光市ですね。

――ご両親ともに、フランス文学者で、大学教授なんですね。

中島 : そうなんです。小さい頃から「家ではフランス語をしゃべっているの?」なんてよく聞かれるんですが、ありえないですよね(笑)。父は大学には週に2、3回行くだけで、あとは書斎で翻訳の仕事をしていました。たまに出版社の方が原稿を取りに見えることもあったので、私は世の中には学校というものの他に会社というものがあって、それは出版社だと思っていたんです(笑)。姉とも出版社ごっこをして遊んでいましたね。

――出版社ごっこ?

中島 : 社長と部長がいるんですが、それがなぜか、キャベツ畑でキャベツを作っている詩人で。そこに、意味は不明ですが“しど社”というところに勤めている社員が原稿を取りに来るという。リアルなのかなんだか、分かりませんよね(笑)。最初は子供の本から童謡を書き写して絵をつけたものを“出版”していたんですが、そのうちに印刷技術を発明して。画用紙の裏をクレヨンで塗りつぶして、裏返して文字を書くと、下の紙に写る。その印刷技術を駆使して2部作っていました。

――カーボン紙みたいなものですね。面白い!! やはり言葉に関する遊びがお好きだったんですね。
中島 : なんか好きでしたね。それと、小さい頃から好きで好きでたまらなくて今でも好きなのが『鏡の国のアリス』。角川文庫の岡田忠軒さんの訳で、最初のほうに出てくる「ジャバーウォックものがたり」の口調があまりにもよくて、全部覚えているんです。
「あぶりの時にトーヴしならか まはるかの中に環動穿孔 すべて哀弱ぼろ鳥のむれ やからのラースぞ咆囀したる。」…。

――すらすらと出てきますね!

中島 : 後半、アリスがハンプティ・ダンプティに意味が分からないというと解説してくれるんですが、全部造語なんです。意味もないのに楽しい言葉の面白さってあると思っていて、そういうのは今でも好きです。私の書いた『FUTON』も語呂遊び的なところがあるし。それは小さな頃から変わらないのかな、という気がします。

――インドア派の子供だったのですか。
中島 : インドアです。机の下とか部屋の隅とか隙間が好きで、見つけるとそこに入っておとなしくしていて、みんなに忘れ去られていました。親戚の間では、3歳上の姉はものすごい読書家で、妹の私はどこにいるか分からない子供(笑)。ただ、私も本は好きでしたね。環境的にも本がいっぱいありましたから。児童館に通って借りることもありましたが、わりと本だと買ってもらえて、ずい分読みました。今、姪が9歳で甥が6歳で、読んでいる本を見ると懐かしい。ケストナーや『ナルニア国ものがたり』とか。

――『ナルニア国ものがたり』は、ラストについての感想がみなさん違うんです。

中島 : ああ、私は批判精神がないので、特に強く何かを思ったわけではないんですが…。ただ、「最後の戦い」は一番面白くなくて、他の巻は何度も繰り返し読んだのに、最後の巻は読んだ回数が少ないかも。ただ、「朝びらき丸 東の海へ」の時にいなくなってしまったねずみのリーピチープと再会できたので、よかったなあ、とは思った記憶が(笑)。

>> Amazon.co.jp ――翻訳小説が多かったのでしょうか。

中島 : 日本の作品もあったと思うのですけれど、なんとなく外国のものが多くて。マーク・トウェインやディケンズとか。最初は子供向けのものから入って、大人向けのものも読むようになりました。ディケンズでは『オリバー・ツイスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』が好きだったかな。あとは『秘密の花園』とか…。両親が翻訳をしていたので、家に本が送られてくることも多かったですね。新しい本がくると嬉しくて、それで当時のものを読んだりもしました。

――ご両親の翻訳されたものを。

中島 : 背伸びして。ミシェル・ビュトールとかね。もうどこの書店にも置いていないんですが、ビュトールの『段階』という本は、当時から「階段」とか「断崖」なんて間違われていたんですが(笑)、これが高校生の話なんです。リセに通っている男の子がいて、先生が叔父さんで、親族が多い学校の話で。これがすごく面白い。萩尾望都さんの『トーマの心臓』を読んでいる年頃にとって、リセの話は入りやすかったんですよね。ほかに、その頃って、集英社や白水社が積極的に現代文学を翻訳していたので、よく読みました。当時読んで好きになったのはイタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』とか。ヘンなものを読みたい時期だったんです(笑)。アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』という戯曲はシュールレアリスムの作品ですが、絵がついているから子供向きだと思って読んだら全然違っていました。大竹伸朗さんの『ジャリおじさん』という絵本は、ジャリおじさんがユビュ王の顔をしているんですよ。

――翻訳小説も、現代文学が多かったのですか。

中島 : 外国のもので新しいものを手にとるのが好きだったんです。読んでみてから合う合わないを判断していました。今でいうと新潮社のクレストブックスのような、その叢書から出ている本なら面白いかも、というシリーズが結構あったんです。それで『ライ麦畑でつかまえて』や『長距離ランナーの孤独』やアップダイクなどを読みました。サンリオ文庫も充実していましたね。フィリップ・K・ディックやトマス・ピンチョン、ウラジーミル・ナボコフまでありましたから。あと中学生の頃にハマっていたのが、レイモンド・チャンドラー。真面目な地味な女の子が…。

――「優しくなければ生きる資格がない」なんていうハードボイルドの世界に。

中島 : そうなんですよ、おかっぱ頭で(笑)。似合わないですよね。深夜にテレビでロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』をやっているのを観たんですよね。エリオット・グールドが格好よかったんです。『オーシャンズ11』のシリーズに出演しているおじいさんですが、彼が若い頃にフィリップ・マーロウを演じていたんです。ロバート・ミッチャムやハンフリー・ボガードも演じていますが、最初に植えつけられたせいか私の頭のなかではフィリップ・マーロウはエリオット・グールドです。

――幼い頃から言葉に敏感だった中島さんからすると、翻訳文というのはどのように思えたのでしょうか。

中島 : ああ、翻訳小説を読んでいると、わけの分からない文章にも出くわしましたね。それで読み続けられなかったものもある。カタカナの登場人物がたくさん出てきて分からない、なんていうことは思いませんでしたが、確かに、日本の作品のほうがすーっと入ってくる部分はありました。ただ、自分のことを深く掘り下げる、私小説的なものには苦手感があって、それで日本文学はあまり読まなかったんです。

――さきほど萩尾望都さんのお名前があがりましたが、漫画はお好きでしたか。

中島 : すごく好きなのは倉多江美さん。『ぼさつ日記』というギャグ漫画があって、地獄寺ぼさつ、という子が主人公なんですが、ある日起きると1匹のおじゃま虫に変身している。カフカの『変身』の影響だろうけれど、私は『変身』より先に『ぼさつ日記』を読んだんですよね(笑)。『栗の木のある家』は、逸郎くんという男の子と二人のお姉さんの話。これは最近書いた『平成大家族』の家族構成や名前のつけ方に影響している気がします。あとは三原順の『はみだしっ子』。ここでも私、カート・ヴォネガットよりも『はみだしっ子』を先に読んだんだと思うんです。「ローズウォーターさんってなんだ?」なんて思っていましたから。

――ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』が漫画の中に出てくるんですね。

中島 : あの作品って、いろんな作家や作品が出てくるんですよね。ディック・フランシスとかジョイスの『猫と悪魔』とか。その後、ヴォネガットもよく読みました。他にはサリンジャーやサローヤン、フォークナーなんかも。ゴーゴリなどの古典も好きでした。

【小説を書き始める】
――大学に進学されてからは。

中島 : 大学生になる時に、本を読んだりすることは自分で勝手にやろう、と思って史学科に進んだんです。今思えば、なんで英米文学科にいかなかったんだろう(笑)。英語ができなかったからだと思うんですけれど。本はあまり読まなくなったんですが、漱石は好きでしたし、大学生として読んでおかなくちゃ、という気分で大江健三郎や三島由紀夫も読みました。谷崎潤一郎も好きでしたね。80年代だったので、中上建次も読みました。

――ご自身で小説を書き始めたのは。

中島 : 大学生の頃には書いていました。そういうものになりたい、とは思っていたんですよ。でも、大工さんを目指すのとは違って、どうやったらなれるのかは分からなくて。人は新人賞などを目指して書いたりするんだろうけれど、そういう才覚がなかったんですね。やったことないわけじゃないんだけど。小説を書きたい、ということと、新人賞を目指す、ということは、私の頭の中ではちょっと別のものだったんです。

――どういうものを書かれていたのですか。
中島 : 大学生のときは、高校生を主人公にしたダラダラした青春小説のようなもの。その後も同じ感じのものを書いていて、『桐畑家の縁談』の桐畑姉妹の話は、20代後半くらいか30歳くらいの時にぼんやり書いていたものが元になっています。

――ああ、大学を卒業されてすぐのお仕事は…。

中島 : 日本語学校の事務をしていました。

――まさに桐畑家の次女と同じ!

中島 : そうなんです。中国語を勉強していたので、中国語が話せる仕事がいいや、と思って。就職戦線には完全に乗り遅れていました。大学4年の頃からライターみたいな仕事をしていたんです。バブルの頃だったので、雑誌もデータマンみたいな人をいっぱい必要としていて、書くことが好きな子を探していて。インタビューはプロのライターがやって、私はその下の5、6冊の本の紹介記事を書くとか、店データをひろってくるとか、そういうようなことをしていました。で、そのままライターにならないか、という甘い囁きもあったんですが、それもだらしないわ、私はちゃんと就職しよう…と思ったら完全に乗り遅れていて、でも中国人と話ができればいい、と日本語学校に就職したんです。でも、その学校がつぶれてしまいまして。

――その後、出版社に転職されましたよね。

中島 : そのままライター生活になだれ込んだのですが、空きがあるからこないか、と言われて主婦の友社に入社しました。最初は『主婦の友』の編集部にいて、そこから『Ray』にいき、高校生向けの『Cawaii!』の創刊に立ち会って半年くらいで辞めました。

――編集者時代は、相当忙しかったとか。

中島 : 本を読む環境ではなかったですね。わりとこの頃に読んでいたのは、山田風太郎とか池波正太郎…。あ、それより前に、金井美恵子さんが学生時代からすごく好きで、金井さんの読書案内に従って本を読むことも多かったので、それで、山田風太郎にたどり着いたんだと思います。池波正太郎は友人のおすすめでした。あー今日も高校生相手に疲れたわ、と思いながら『魔界転生』を開く…。もう、自分でもすさまじい精神状態だったんじゃないかと思います(笑)。カズオ・イシグロやミラン・クンデラもすごく好きでした。そのちょっと後に、マーガレット・アトウッドやイアン・マキューアンも読んでいましたね。カズオ・イシグロはどの作品も好き。どれも好きと思える作家はあまりいないので、本当に好きなんだと思う。『日の名残り』や『浮世の画家』とか…。『浮世の画家』は日本の話なんです。以前は中公文庫にありましたが、最近『わたしを離さないで』がすごく売れたので、そのためか早川のepi文庫から新たに出ていました。ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』が最初だったのかな。『不滅』も好きでしたね。

【インターンシップでアメリカへ】
――出版社を辞めてから、アメリカ、ワシントン州に教育実習生として赴任されたそうですが、英語はどちらで勉強を?

中島 : 英語はまったくできなくて、コンプレックスだったんです。でも、会社を辞めて外国に行こうかな、行くとしたら中国語圏か英語圏だなと思った時、英語圏のほうがラクそうだと思い、半年間ほど英会話学校に通ったんです。それから、応募してインターンシップでアメリカにいきました。まあ、高度な語学力はなくて、旅行や友達を作ることはできる程度です。

――思い切った転身だったのでは。

中島 : その頃にはヘトヘトに疲れていたんです。物理的にも小説を書けない状態が何年か続いていて。会社員になったら30歳くらいで辞めてフリーになって、そうしたら自分で時間を作って書こうかな、とは思っていました。でも、そんなことを考えている間にも、仕事は日常的にまわっていく。女性誌の編集者で、小説を書いているなんて、なんだか使えない感じがしませんか(笑)。その人がよっぽど格好よくて異彩を放っていたら、やっぱり人とは違う何かがある、と思われるかもしれませんが、そうでない場合、現実逃避のように思われて「小説なんて考えていないで真面目に働いてくれる?そこのクレジットチェックしてくれる?」と言われそう(笑)。それで職場では小説のことは誰にも言わず、忙殺されていると、その現実のほうが自分の中で強くなってくるんですよね。20代前半でデビューする人もいるのに、私はこのまま書かないのかなと思いはじめていました。ただ、アメリカに行ったのは、そういうこととは別に、とにかく疲れていたので、1年間休みをもらってのんびりしたかった。だから日本語の本も持っていっていなくて、最初の半年間は日本語を見ない生活をしていました。

――英語で本は読まなかったのですか。

中島 : その頃は勢いで読める気になっていたのですが、難しいものは私の語学力では読めませんでしたね。でも、ほら、顔が丸くて髪がもじゃもじゃのコラムニストの人とか…。

中島 : あ、ボブ・グリーンだ(笑)。ボブ・グリーンなんかを読んでいました。シアトルに「エリオットベイ・ブックカンパニー」という有名な本屋があって、そこのカフェにレイモンド・カーヴァーと奥様が来て、書いたり朗読会をしたりしていたそうなんです。カーヴァーはもう亡くなっていましたが、そこにいって、ほおーと思って短編を買ったりしていました。そういえば、ちょうど私がいる頃、村上春樹さんが朗読会でいらしたんですよ。『ねじまき鳥クロニクル』が英訳された頃だったのかな。会場は日本人とアメリカ人が半々くらいで、日本人がためらわずに日本語で質問するので、村上さんは日本語で答えてから「今こういう質問をされて、こう答えました」と英訳していたんです。なんていい人なんだろうと思いました。

――その頃は、何も書いてはいなかったのですか。

中島 : その日にあったことをちょこちょこと、タイトルをつけてエピソード風に書きとめていました。それが後で書いた本の元になっています。

――アメリカ滞在のことを書いた『ココ・マッカリーナの机』ですね。小説を出す前に刊行された本。ほかにも、作家デビューされる前に本を数冊出されていますね。『ライターの仕事』とか。

中島 : アメリカに1年3か月くらいいて、帰ってきてからはライターの仕事をしていたんです。『ライターの仕事』は請負い仕事で書いたんです。もう、いやというほど同業者にお会いしました(笑)。それと、『自然と環境にかかわる仕事』という本も書きました。これは樹木医など環境にかかわる仕事の資格取得の、女性向けハウツー本です。もう絶版ですが、類似本がないらしく、環境関連のところから今でも時々、「あれはいい本だった」と褒められるので嬉しくなります。
―帰国後は、ライターの仕事をしながら、小説を書き始めたのですか。

中島 : アメリカでの1年間で、「もう自分は書けないんじゃないか」というマインドコントロールはとけて、やっぱり一番やりたかったことだから、と、小説を書き、ライターの仕事は生活のため、とわりきっていました。だからといって、片手間でライターができるわけなどない。もう大人だったのでそれも分かっていましたから、仕事が立て込んでいる時はそちらに集中し、2、3か月書かない時もあり、その後再開する、というペースでした。ですから『FUTON』は書き始めてから4、5年かかっているんです。

――デビュー作となった作品。田山花袋の『蒲団』が題材となっていますが、『蒲団』を読まれたきっかけは。

中島 : アメリカに行く直前くらいに読んだと思うんです。文学史上燦然と輝く、自然主義文学の原点とは思っていたのですが、読む気にさせるような解説を見たことがなくて、手にとらずにきたんです。きっかけは姉です。フランスに住んでいるので日本語の活字に飢えていて、帰国した時に『蒲団』を読んでいたんです。それを借りて読んだら、これが面白い。ただ、すぐに『FUTON』という小説を書こうと思ったわけではないんです。あの小説で最初に書いたのは、下町に住んでいるおじいさんが愛人の幻を見てよろよろ歩き始める部分。それとは別に、『蒲団』を奥さんの視点でだらだら書き直してはいました。おじいさんの話に「蒲団の打ち直し」を挿入していくことは、後から考えたこと。最終的に、現代の話と打ち直しの部分が、有機的につながるように意識して整理した、という作業でした。

――出来上がった作品を出版社に持ち込まれたんですよね。

中島 : そうです。これが550枚くらいの小説になったんですが、当時はそれほど分量のある作品を受け付けてくれる新人賞は時代小説とか推理小説の賞しかなかったんです。書き終わってじゃあ応募するか、と思ったら出せるところがない。それに、はやく出したくなっちゃったんですよね。ヘンな話ですけれど、小説が「もうお前のところにいたくない」って言っているような段階を迎える時って、ある。何度も書き直している状態を通り越して、もう手を入れてくれるな、となるんです。その段階にきたので、じゃあ持ち込むか、と思って。その時38歳だったんです。40歳手前ということで焦りもあったのかもしれない。今思うと、そこまで焦らなくても、と思うんですけれど。

――そして、作家デビューすることに。

中島 : 運もよかったんですね。機が熟していた感覚はありました。03年にデビューして、05年に2作目の『イトウの恋』が出るんですが、その間の2年間は辛かった。『イトウの恋』は『FUTON』が出る前からちょこちょこ書いていたんですが、『FUTON』がすぐ書店から消えると思ったら意外にも評判がよかったので、次の作品はヘンなものを出せない、とか、はやく出さなくちゃ、というプレッシャーを感じ、さらに、執筆の時間を作るためにライターの仕事をセーブしていたので、ものすごく貧乏な生活になってしまって。あれは本当に辛い2年間でした。

――のんびり読書、という心境ではなかったのでは。

中島 : でも女性誌をやっていた頃よりも時間ができましたし、読まないと書けない、という感覚もあるので、何かしらは読んでいました。ただ、だんだん勉強のようになってきちゃっていたかもしれません。その時に書いている小説と同じ時代のものや、関連したノンフィクションなど、調べものをするために読むことも多いです。

――今はお仕事も小説執筆に絞られているわけですが、日々のサイクルは。
中島 : 書くのは午前2時間、午後は3時間でいっぱいいっぱい。本はあいた時間や、夜読んでいます。一気に読まないと前に読んだ部分を忘れてしまうので(笑)、読み続けて夜が明ける、ということも。本は本屋さんにいって自分で見つけるのが多いですね。出版社から送られてくる本もあるし、本をくださる方もいて、自分では見つけることのない本との出会いがあって楽しいですね。この間ハマったのは、編集者の方が面白かったからと言ってくださった、集英社新書の『死刑執行人サンソン』。フランス革命の時にルイ16世やマリー・アントワネットとか、ありとあらゆる人の首をギロチンではねた人の話です。

――新刊が出ると必ず読む作家さんなどは。

中島 : カズオ・イシグロは必ず読むかな。金井美恵子さんも。金井さんの作品は、『タマや』や『小春日和』などの目白ものが好き。これは何度も繰り返して読んでいます。

『桐畑家の縁談』のように、以前からある構想というのはたくさんあるんですか。

中島 : ありますね。『均ちゃんの失踪』や、今『野性時代』で連載している『エ/ン/ジ/ン』も、昔に書いたものが元になっています。書きかけの原稿もあれば、プロットだけ書きだしたものなど、いろいろです。

――新刊の『平成大家族』は、夫婦と妻の母、ひきこもりの長男が暮らす家に、事業に失敗した長女の家族、離婚した妊婦の次女が戻ってくる。それぞれの視点から家族の人間関係が描かれているのが、すごく楽しいですね。

中島 : 人を観察して、この人だったらどういう行動を取るかな、と思って書くのが、私にとっては面白いんです。自分のことにはあまり興味がないんですね。自分を書くことはしたくない。面白くないだろう、と思ってしまうので。

――『冠・婚・葬・祭』など、最近は日本の家族や共同体を題材にした作品集が続いているように思いますが。

中島 : 短編が多い1番の理由は、要求される枚数の問題ですね。ただ、いつのまにか「日常の細々したものを書く女性作家」という紹介のされ方をするようになってしまっていて。自分はいろんなものを書きたいし、『FUTON』のように過去に書かれたものを題材にした書き方もすごく好きなんです。作品を読むものも書くものも、どれという傾向があるわけじゃない。例えば、時代小説でもSFでも、好きなものはすごく好きです。どちらのほうが上とか価値があるとか、そんなことは関心がない。でも、「あなたはもっと日本文学を題材にした知的なものを書くべきなのに、そんなものを書いているなんて」と怒られたことがあるんですよ。私は、そっちが知的だとかこっちは価値が低いとか、自分が読む時に思ったりしないんですけれど。

――思いませんよね。

中島 : 自分の中では、いろんなものを書いてみたい気持ちが強い。ただ、「おばあさんやおじいさんをよく書きますね」と言われたら「そうかも」と思うところはありますね。すごく好きなんです。一人の人間の中にすごく過去がつまっている。その奥行きや時間の流れの長さにすごく興味がある。小説はそういうものだという感覚があるし、これからもそういうものを書いていきたいと思います。

――最後に、近刊予定を教えてください。

中島 : 秋くらいにポプラ社から子供の話が出ます。小学校5年生のお話で、タイトルは変更がなければ『ハブテトル ハブテトラン』。広島県の福山市が舞台で、そこの方言です。「ハブテトル」が仏頂面、むくれる、といった意味らしくて、「ハブテトラン」はその否定形。カタカナで書くと魔法の呪文みたいだなと思って。『エ/ン/ジ/ン』ももうすぐ連載が終わるので、加筆修正して年内に単行本になるかどうか、という感じですね。

(了)

中島京子プロフィール

1964年東京生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。出版社勤務を経てフリーライターになる。2003年小説『FUTON』を上梓。著書に『均ちゃんの失踪』(講談社)、『桐畑家の縁談』(マガジンハウス)、『ココ・マッカリーナの机』『さよなら、コタツ』(ともに集英社文庫)、『ツアー1989』(集英社)、『冠・婚・葬・祭』(筑摩書房)などがある。最新刊は『平成大家族』(集英社)。

作家の読書道:第79回 中島京子さん | WEB本の雑誌

はじめに

加藤:   今回は、去年『小さいおうち』で直木賞を受賞なさった中島京子さんをゲストにお招きしています。ずっとお会いしたいと思っていた作家の方でしたので大変感激しております!

中島:   わ〜、ありがとうございます。

加藤:   中島さんのことは、もう5年前にこの「本の泉」(第3回)で取り上げたことがあるんですよ。その頃から注目しておりました。

中島:   拝読しております。ものすごーく、嬉しかったです。

加藤:   わわわ!こちらこそ嬉しいです!今回は、新刊の『エルニーニョ』を中心にお話を伺ってまいりたいと思います。

中島:   よろしくお願いします。


 『エルニーニョ』

加藤:   去年、『小さいおうち』で直木賞を受賞なさった後の第1作ですね。この作品は受賞後に書き始められたのでしょうか? それとも他の作品と並行してお書きになっていたんですか?


『エルニーニョ』 
講談社:刊

中島:   受賞よりずっと前から書いていました。『小さいおうち』を書き終わって、ひと月くらいしてから書き始めたんです。書き下ろしは久しぶりだったので、他の仕事は一時お断りして、去年の前半はこちらに専念していました。ちょうど賞の選考やら発表やら授賞式やらというころに、おしまいの方を書いていましたね。

加藤:   女子大生の瑛(てる)という主人公が、同居しているDV男の金を奪って南の町へと逃げ延び、そこで出会ったニノという男の子と共に逃げ続けるお話です。ロード・ノヴェルとしても面白さがある作品だなと感じました。私が傑作だと思っている『イトウの恋』もそうだったと思いますが、中島さんはロード・ノヴェルはお得意なのではないでしょうか?

中島:   お得意かどうかは…(笑)。でも、旅の話を書くのは好きみたいですね。他にも『ツアー1989』なんかも旅といえば旅ですし。

加藤:   フィリピン人とのハーフである「ニノ」が、本来の発音では「ニーニョ」であると分かったとき、タイトルと繋がって合点がいきました。さらに読み進めていくと、「エルニーニョ」には「男の子」という意味の他に「幼子イエス」という意味があると分かりました。このタイトルに込められた意味をお聞かせ願えますか?

中島:   主人公を、フィリピン人とのハーフと決めてから、フィリピン人の友達にメールで相談したんです。「両親のいない子なんだけど、かわいそうな話にはしたくないから、フィリピン人のお母さんがつけた、この子を守ってくれる名前が欲しいんだけど、どんなのがいいかな?」って。そしたら20個くらい教えてくれたんですね。フィリピン神話の英雄やらテレビドラマのヒーローやら。その中で、「ニノ」は日本人にも馴染みやすいし、それにまさに「男の子」だし、「幼子イエス」は子供の守り神だという説明もあって、物語のテーマにぴったりだと思ってつけました。

加藤:   なるほど。この作品では瑛とニノの逃避行というメインの物語の合間合間に〈灰色の男たち〉や〈ピーター・パンとウェンディー〉のサブストーリーが挿入されます。これがまた、読んでいて面白かったのですが…。

中島:   ありがとうございます。本を読むことと旅をすることは、どこか似ていて、旅の面白さには、その土地の物語と出会う楽しさがあると思ったので、2人の旅に、サブストーリーを加えてみたくなったんです。そうすることで、小説に少し奥行きが出ればいいなあと思いながら書きました。

加藤:   私はこの作品を読んで、「逃げてもいいんだな」と、とても楽になった感じがしました。肩の力が抜けた、というか。「森のくまさん」をついつい口ずさんでしまう自分がいます。

中島:   「森のくまさん」、変な歌ですからね。いきなり熊が出てきて「お逃げなさい」って言う…。おかしいな〜って思ってたんですね。その疑問を解決することから、まずは物語が始まったというか。

加藤:   去年の角田光代さんの『ツリーハウス』もそうでしたし、来月発売になる桐野夏生さんの『ポリティコン』もそう言えると思うのですが、最近、実力ある女性作家たちが「逃げる」ことを肯定するような作品を書く流れがあるような気がしています。「逃亡のススメ」とでも申しましょうか。これは何か符号のようなものがあると思われますか?

中島:   あらまあ、それは気づきませんでした。でも、時代が物書きに「書け」と迫るということはあるかもしれないですね。やはり、ちょっといまは、時代じたいに息苦しさがある。経済の落ち込みなどが原因で、先の見えない閉塞感が社会全体を覆っているところがあると思います。そこにはもしかしたら「逃げろ」というメッセージが必要なのかもしれないですね。追い詰められて死んでしまったり、他人を刺したり、いじめたりするくらいなら、逃げてしまったほうがいい。私は単純に、DV男からは逃げ出して欲しいという思いがあって書きました。


「来るべき世界の作家たち」

加藤:   去年、「文学界」10月号に、中島さんが監修なさった「来るべき世界の作家たち」という特集が掲載されたことを記憶しています。IWPについて簡単にご説明していただけますか?


『文学界2010年10月号』
文藝春秋:刊

中島:   IWPは、インターナショナル・ライティング・プログラムといって、アメリカのアイオワ大学が行っている、作家招聘プログラムです。毎年、秋の2ヶ月半くらいを、アイオワで過ごし、朗読会やパネル・ディスカッションなんかに参加します。私が行った年は、約30ヶ国、36人が参加していました。40年以上も続く、伝統あるもので、過去には中上健次さんとか、島田雅彦さんとか、水村美苗さんなんかが参加して、水村さんは『日本語が亡びるとき』の冒頭に、そこでの経験をお書きになっていますね。

加藤:   ご参加なさって、率直なご感想は? 中島さんの創作活動に影響はありましたか?

中島:   すご〜く、楽しかったです。(笑)なんだか学生生活をもう1回やったみたいな感じで。世界各国から集まる作家とも、同じ宿舎にいるから、いつのまにか学生寮の仲間みたいになっちゃうんですよ。お互い、すさまじい英語で話してるんですけども。創作活動への影響は、まず、2ヶ月半リラックスしたので、ストレスがなくなって、書きたい気持ちがムクムク湧いて『エルニーニョ』が書けた。(笑)

加藤:   そうだったんですか!「文学界」に掲載された5作品は中島さんがお選びになったのでしょうか? 5作品についての思いは?

中島:   中島セレクションです(笑)。どれも思い入れはありますねえ。メールで連絡とって、許可もらって、翻訳の方をお願いしてって、その一連の作業、もちろん、編集の方といっしょにやったんですけども、ドキドキしちゃって。南アフリカの新鋭マクシーン・ケイスの短編を、南アのノーベル賞作家・クッツェーの翻訳者である鴻巣友季子さんにお願いして、OKの返事を頂いたときとか、嬉しかったですしね。あの翻訳特集はおかげさまで好評で、フランスの移民作家マブルーク・ラシュディの『プチ・マリク』と、香港のボルヘスって呼ばれている、董啓章の『地図集』は、単行本化が進みつつあるんです。本が出たら、そのときはよろしくお願いいたします。

加藤:   しっかりと覚えておきます(笑)!ところで、世界文学の中でご覧になったとき、現在の日本文学の特徴はどういったところにあると思われますか?

中島:   うーん。私は評論家じゃないから、そういうふうに考えたりしないし、世界×日本っていうふうにも言えないと思うのですが、海外作家は、社会性のあるテーマを選んでいることが多いような気がしました。東欧の作家は、冷戦終了後の混乱を書いているし、フランスの作家は移民の現在を書いている。香港作家は植民地後のアイデンティティを主題にしているし、南アの作家はアパルトヘイト後を書いている。それらが、ジャーナリスティックな書き方ではなく、小説家の視点と筆で書かれていることが印象的でした。ひるがえって日本の小説を見てみると、社会的な要素はあまりダイレクトには描かれなくて、もっと個人の内面に寄り添った方法で現代が描かれている、そんな感じを持ちました。

加藤:   ありがとうございます。とても勉強になります。


直木賞受賞作『小さいおうち』

加藤:   ありきたりな質問で恐縮ですが、直木賞を受賞なさって中島さんご自身の中で何か変化はありましたか?

『小さいおうち』
文藝春秋:刊

中島:   それはね。ものすごく違います。でも、何が違うのかと訊かれると、うまく答えられない(笑)。小学校なんかで、ちょっとお調子者の子を班長さんなんかにして自覚を持たせるようなことがあるでしょう? あれに似てますよ。「おっきな賞もらっちゃったんだしな。ちゃんとしよう」って思う(笑)。以前がちゃんとしてなかったかというと、そんなことはないんですが。

加藤:   あはは!そうなんですか!『小さいおうち』は本当に素晴らしい作品だと思いました。戦時中、東京郊外の中流家庭に女中として働いていた主人公「タキさん」が、後年、当時の出来事や思い出を回想する、というお話です。この作品の前にも中島さんは『女中譚』という作品を書かれていらっしゃいますね。中島さんにとって「女中」という職業は、書いていて楽しい対象なのではないでしょうか?

中島:   女中さんというのは、家族の中に深く入り込むけど、家族ではない。ちょっと距離を置いた存在ですね。小説の視点人物として、とても魅力的です。しかも、ある特定の時代にしか、タキさんみたいな女中さんは存在しない。いろいろな意味で、書いてみたいと思っていました。

加藤:   この作品では、戦時中の庶民の暮らしぶりがとても細かく書かれています。思うように食べ物が手に入らないとき、何で代用するか、とか、どうやって倹約するか、など。

中島:   当時の女性誌なんかを片っ端から見て、「あら、案外、美味しそう」なんて思ったりしましたよ。自分だったら、こんなふうに工夫するだろうって、創作もまぜたり。いまでも女性誌って、節約ネタが好きでしょ。私も女性誌編集者だったことがあるので、ああいう記事の作り方のノウハウがわかるんです。そんなことを思い浮かべながら、楽しんで書きました。

加藤:   最後の章で、あっと驚く結末が待っています。この構成の巧みさには唸ってしまいました。

中島:   小説は、いろんなものを盛り込める、寛容な器だと思うんです。1章から7章までは、あの時代を、女中さんの視点でくっきり立ち上がらせることを主眼に書いたのですが、最終章では、それとはまったく別の要素を盛り込みたいと思いました。小説は、とても自由度の高い散文形式なので、もっといろいろなことができると思うんですよ。現時点での私にはあれがいっぱいいっぱいだけど、楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。


 さいごに


加藤:   中島さんがお仕事をなさる上で、これだけは守っている信条のようなものはありますか?

中島:   自分が面白いと思うもの以外は出さないこと。当たり前のことではあるけれども、自分で合格点出せないものを人様に読ませるわけにはいかないと思ってます。

加藤:   今後の新刊の刊行予定は決まっていますか?

中島:   2月下旬、中央公論新社から『花桃実桃』が出ます。読売新聞のウェブサイト「ヨリモ」に連載したもので、アパート・花桃館の大家、花村茜(43歳)が主人公。ウェブ連載だったので、肩の凝らないもの、楽しく笑って読めるものをと意識して書きました。間口の広い作品になっていると思います。夏くらいには、短編集が集英社から出る見込みです。『エ/ン/ジ/ン』の文庫も今年出る予定です。

加藤:   最後に、読者にメッセージを!

中島:   作家生活も8年目に入りました。けっこう文庫なども出揃ってまいりましたので、お好きなものを手にとって、楽しんで読んでいただければ嬉しいです。『エルニーニョ』は直木賞受賞作のあとで、小粒に見えてしまうかもしれないけれど、次郎長一家の小政みたいな作品です。って言っても若い人にはわからないと思いますが、つまり、小粒でもぴりっと存在感のある作品に仕上げたつもりです。ぜひ読んでみてください。

加藤:   はい。ぜひお読みいただきたいですね。中島京子さん、今日はお忙しい中本当にありがとうございました!

115回 【本の泉】 | 有隣堂

 
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posted by りょうまま at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 中島京子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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